びっくりした。つい逃げ出してしまった。ちょっととかで済んだのに、だってそういう話題にならないだろうと油断していたし、何よりペトルスに似ていたものだから……。ペトルスにバレたら最後、事が済むまできっと外には出させてくれなくなる。
 孫に報告するだろうか……。多分大丈夫だとは思うけど。わざわざこんなことを連絡し合うような間柄には思えなかった。
 大通りの真ん中で一際大きな息を吐く。ガラガラと何かが歩道の石を踏む音がして、慌てて振り返りながら左に逸れた。様々な海鮮類を積んだ荷台が馬に引かれて緩やかな坂道を登っていく――転送魔術式から首都に渡される食材だろうか。それを使ってここまで来てから約半月、ただの通過点のはずだったのに結局本来の目的が達成される兆しは無い。馬車の音が上へとゆっくり遠ざかる。
 ……息を吐いた。
 苦手なんて言ってられない。どの道それしか進められるマス目は無いのだから、下手に逃げ回っていても変に時間を食うだけで何の得にもならないことは明白だ。
 うまく隠し通せることを切に願って、馬車の跡に足をつく。


ゆふづつ



「四年前の事件について教えてほしい」

 単刀直入に申し出ると、チンクウェッティは意外そうに目を瞬いた。マクシミリアヌスの執務室よりも小奇麗な、ただしそれ故に妙に殺風景にも思える部屋である。支部のカウンターで取り次いでもらったら聞き込みに外に出ているとかで暫く玄関ホールで待ち続けて、漸く捕まえた大佐殿にここまで案内していただいたのだ。
 窓を背にして執務椅子があるのはマクシミリアヌスのところと同じだった。ここは二階なので空のほうがよく見える。町の構造上、そういう部屋が多くなるものなんだろうけど。

「……アンタにその話を切り出されるとは思わなかったな」

 そう言って煙草をつける時間を作った。マクシミリアヌスか、あるいはさくらが多分この役だったんだろうと真佳も思う。本来ならばそのはずで、でも真佳はサイコロ二つで双六を進めることになったから。

「どこから聞いた?」

 絶対その話になると思った。過ちは二度は繰り返さない。「ちょっと小耳に挟んで」とだけ口にした。ズッカリーニ医師は、この事件に関する新聞なら一般人でも閲覧出来ると言っていたし……多少詳しく話したところで、多分問題はないだろう。待ってる間に閲覧しといたほうがよかったかなと今更思った。
 チンクウェッティが小さくその唇から吐息した。薄煙が一瞬空気を切り裂いた。

「まあ、何にせよ知ってる人間がアンタらの中にいるのなら心強い。制限を食いやすい教会と違って、アンタらは自由に捜査がお出来になるわけだから」
「……治安部隊員として一般人に任すとゆーのはどうなの」
「一般人? 誰が?」
「……」

 これには少し閉口した。一般人……のはず、だもん。一応。例えやって来て一月も経たない間に幾つもの問題を四人一緒に解決してきたとしても一般人だもん。マクシミリアヌスだけは違うけど。
 紙巻たばこをもう一度一吹き。この短時間で二種類の紫煙を浴びたことにわけの分からないコンプリートに似た達成感を覚えないでもない。

「とりあえず、座ったら?」

 と言われて漸く真佳は自分だけ立ったままだったことに気がついた。きょろと辺りを見回してから、以前にも座った応接ソファの一画を少し借りることにする。相対する椅子ではないため右につま先を傾けて、それでようやくチンクウェッティとそれなりに顔を見合わせられる形になった。背もたれがすぐ後ろにないのはどことなくだけど心もとない。

「さて、どこから話そうか……。アンタんとこの情報屋が」一瞬体がびくりとした――「どれだけの情報を与えているかは俺には予想もつかんがね。しかしそうさなあ、今回の件と四年前のあの事件が深く関わっていると考えているのは俺も同じだ」
「死体の状況……とかから?」
「それもある。しかし大部分は勘によるところが大きいと言ったほうがいいだろう。四年の隔たり、川に投げ込んでの死体隠蔽……犯人像の違いについて言われれば、残念ながら俺も大した反論はできんのだから。ああ、そういう意味では、理論で進むサクラよりもアンタのほうが先に繋がり有力と見たのには確かに納得できるものがある」
「……チンクウェッティ大佐、チェス好きでしょう」
「それなりに」

 チェス感覚で楽しんでやがると真佳は思って心の底で舌打ちした。チェスは論理の勝負ではない――相手を知ることが必要だと述べた悪徳弁護士の名は未だ記憶に真新しい。“信頼できる頭脳が自分にあるなら、それを使うべきだ、ないのなら、歴代の名人の使い古した定跡に盲目的に従うのもひとつの知恵だ”。
 真佳の思考もさくらの思考も知られている。その上で彼は――……いや、今はこの話題を進めるような場ではない。思考を“今”に切り替える。

「それで、その四年前の出来事と今回の事件を繋げるような何かは出てきたの? チンクウェッティが中心になって調べてるって聞いたけど」
「一つもないんだよね、これが」

 だと思った。半ば予想出来ていたことなので然程落胆はしなかった。もし決定的な繋がりか何かが発見されていたのなら、多分今この瞬間にマクシミリアヌスが捜索している区域はまた別の場所になっていたはずだ。チンクウェッティが前頭骨の端の辺りを渋い顔でこりこり掻いた。

「狙いは間違っていないはずなんだがなあ。俺の勘はまだ然程鈍っていない、君がこの件を持ちだしたことからもそうであるという確信が取れる。しかしどうにも……何かが引っかかって離れんのだ。双方の間に、何か重要な何かが……そう、二つを繋げるピースが足りない」

 その感覚は理解出来る。四年という時間の隔たりの中に、多分失われたパズルのピースが潜んでいる……。真佳にもそういう感触は確かにあった。二つはあまりに一足飛びだ。
 四年前――と、甲冑男はつい先日口にした。

「ある女性が撲殺された。頭や顔を中心に上半身を集中的に殴打されていたことから、馬乗りになった状態で鈍器を振り下ろしたのに違いないという結論を下された。凶器については何も発覚してはいないけれど、ハンマーである可能性もあると言う。銀の成分が付着していたかどうかは記録にない。殴打された後、恐らく高いところから川に突き落とされて長くない時間水の中を彷徨った。教会が彼女を発見したのはその一日後。手掌の白変が見られ角膜混濁が起こりかかっていること……それから、その他の水死体に見られ得る現象が見られなかったことから、当時の検視官や医術士は死亡推定時刻は少なくとも二十四時間前であると断定した。事実そうだったのだろうと私も思うよ――」

 ……匿名人の台詞を思い出していて、ふと気がついたことがある。そう重要なことでもないと思っていたし、真佳よりもその事件に精通しているであろう第三者に、該当する事件を想起させるための説明に加えるにはあまりにも瑣末にすぎて適当でないと思っていたから言わなかったけど。

「高いところから突き落とされた……んだよね。四年前」

 考えながら真佳は言った。

「ん。ああ、そうなっている……ま、高いところと言ったって、ここでは該当する箇所が五万はある。この町の東側に傾斜する川があるんだがね、それに沿って、川を挟むように家屋が林立してるのさ。大体が精々二階建ての高さだが、斜面の分も加わると三階や四階の高さから落とされたような形になる」
「橋は? ないの?」
 煙草を運ぶ手を少し休めて、「……小さな橋があるにはあるが、あれから落としたところで高い箇所から落ちたという結果には――」

 ……そこではたと言葉を止めた。

「……待てよ。そうか……“家屋”から“突き落とされた”というこの二つの仮定が間違っているとするなら確かに丁度いい場所はある」

 ……頬を引き攣らせた。あの一言だけで考えていることを見抜かれるとは……。伊達に第二級で大佐はやっていないということか。しかしそんなことは今どうでもいい。素早く思考を切り替えた。

「どこ?」
「上流のほうだ。この支部からも比較的近い。川だけがひどく急下降している箇所がある。二階の家屋から川までは大体二十メートルはあるが、川べりから見ても十分……」
「三、四階分の高さはある?」

 チンクウェッティが力強く首肯した――これで問題の一つは片付いた。足りないピースの一つはここで手に入れた。それでもズッカリーニ医師に出された謎の解答全てを手に入れられたわけじゃない。足りないピースは未だ幾つか残ってる。

「ありがとう、チンクウェッティ。私はちょっと、別の用を思い出したからここで帰るよ」
「ああ……こちらこそいい取っ掛かりを掴ませてもらった。また何か分かったら共有しよう。情報交換と行こうじゃねぇか」

 にやりとニヒルに笑まれたことに思わず体を強張らせた。一瞬の次の句を失って、「……そうだね、何か分かったらね」当り障りのないことを口走る。
 ……一瞬見透かされているような気がしてどきりとした。チンクウェッティがどこまで事情を察しているのか、やっぱりどうも見透かせない。もう二度とこんな腹の探り合いをしないで済むことを切に願った。

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