「……なるほど、探偵ってのは事件吸収能力のあるものだわなあ」

 何が言いたいんだとそっぽを向いた。何度も言うがトラブルメーカーはむしろ真佳のほうで、さくらがこうして面倒ごとに巻き込まれるのは今までを振り返っても片手の指で足りるほどしかない。
 ヨハンネスの裁判は、結局あれから審議終了まで三分とはかからなかった。尋問の終わりが告げられ、判決は後日ということで幕を閉じた。見届けるというのなら、多分その結末も見届けなければならないのだろう。どちらにせよそれまではここから動くつもりは無かったけれど。
 ――で、裁判終了と同時に“シルバー・ハンマー”遭遇事件の成り行きを説明したときのチンクウェッティの対応がこの反応。大佐の肩書きを持った人間とは思えない。そもそも探偵になった覚えがない。ヨハンネスのときのあれは暫定だ。

「……ともかくそういうことだから」

 とさくらは言った。

「性別と背格好は自信を持って断言できる。声のほうも、もう一度聞いたらすぐにそれとわかるでしょう。……何かに役立ってくれるといいんだけど」
「んや、今まで目撃者らしい目撃者と言えば死体だった案件だ。どんな情報も役には立つよ。無論役に立たせてはみせるがね」

 とチンクウェッティは自分の手でもって煙草の先端に火をつけた。有する魔力が第二級であることはさくらのほうも初めて会った時に気がついている。美味そうにも不味そうにも見えない様子で吸い込んで、それからぱっと煙を出した。……ドーナツ型だった。やたらと器用だ。

「……しかしそれより先にこっちを片付けておこう。カッラ中佐、君ね、上司に向かって脅しはいかんな」

 マクシミリアヌスのほうを振り仰いだ。チンクウェッティの執務室に入り込み彼の執務机の面前に位置する応接椅子に腰をおろしてからずっと、この巨木とも言える大男はさくらの右隣にどっしり根を生やしていたのだが、その間一言も口を開いていなかったためにうっかり存在を忘れていた。マクシミリアヌスらしくないことだ。まるで根を生やすことだけに労力を使いすぎたみたい。
 部下に対してには決してすることのなさそうな、不満を押し殺した重々しい口調でもって大男は発話した。

「……ではお聞きするが」と彼は言う。「“シルバー・ハンマー”の言う“女神”の存在が、何故この内のどちらかであるということを特定しました?」

 チンクウェッティに視線を戻す。……知っていた? 思わぬ話題に動揺した。格子窓から差す日の光を背負いつつ、チンクウェッティは頬杖をついたまま右の肩をひょいと竦めた。

「別に確信があったわけじゃあない。ただあんなところに予告状を書き入れることで効果の見込めそうな人間で、且つ事件に巻き込まれやすい体質の女に他に心当たりが無かっただけだよ。当たっていたようで実に良かった。何しろ遠回りをしなくて済んだわけだからね」

 マクシミリアヌスに視軸を戻した。納得した素振りは全くなかった。

「……では」

 マクシミリアヌスの額を汗が伝っているのが見えた。抑えた声が何かに似ていると思ったら、落雷後の地響きだ。正しく落雷の如き怒声を上げるマクシミリアヌスにしては珍しい。その先を尋ねたいのか尋ねたくないのか、さくらにはよく分からない。

「先の落書きの件に話を移しましょう。あれが彼女たちのことを指し示していると思った、そこはいい。では、それで大佐はどうなさるおつもりで?」

 ……チンクウェッティがもう一度片肩だけを器用に竦めた。……だんだん話が見えてきた。

「何を言っているかわからんなあ、カッラ中佐。もっとはっきり物を言ってみてはいかがかね」

 大男が息を吸い込んだ
 途端、

「彼女たちを囮にする心算があったのではと聞いておるのです!!」

 燻っていた爆弾が落雷を受けて爆破した。
 ……真向かいで真佳が(どちらかというと)マクシミリアヌスの大声に目を瞠って硬直した。白っぽい沈黙が流れる中でチンクウェッティは息を吐き、頬杖をほどいて机の上に手を組んだ。
 あの時、マクシミリアヌスがチンクウェッティを脅す言葉を言付けた理由が今なら分かる。気付いて然るべきだった。相手はあからさまに自分のことを狙っていて、且つ教会が所有している“シルバー・ハンマー”の情報は然程多くないという状況に。――そこから導き出される解答に。

「……カッラ中佐もズッカリーニの孫も、もう少し冷静になって話を聞けよ」

 ――今にも飛びかかって喉元を食いちぎらんとする獰猛な獣の瞳でもってチンクウェッティを睨みつけているマクシミリアヌスと、真佳の隣でソファから腰を浮かせかけた上体で臨戦態勢に入ろうとしているペトルスの姿が視界に入った――チンクウェッティが据わりを直す。

「先に言っておくがこれは俺の意見じゃない。だが今回の件を上層部に打ち明けた場合、返ってくる答えはほぼ同じだと考えてもらって構わない。それほど“マルテッロ・ダルジェント”の脅威は無視できないものになってきているということだ。実際にその決定が下るかどうかは分からんし、出来れば俺だってそれを選択したくはない。だが」
「異世界人を故意に殺害した場合、或いはそれに類する行為に貶めた場合、法がどういう決定を下すか知らないはずもなかろうが!!」
 ちらりとチンクウェッティがマクシミリアヌスの顔を見た。「……その可能性は否定できないということだ」

 革張りの執務椅子に深く背中を預けて言い切った。マクシミリアヌスの言葉が上に被さりかけたが、どうにも大佐はそうなることを想定していたようにも思う。頬を覆う金の色をしたもみあげを、彼は指の先だけで軽く触れた。

「……お話になりません」

 ソファにどっかと座り直しながら今度はペトルスが口にした。

「ぼくは彼女たちをお守りする立場として教会から申し込まれた人間のはずです。その教会が彼女らを積極的に危険に晒すなど……」
 チンクウェッティが肩を竦めた。「そもそも君が彼女らの傍らにつくことになったのは何が原因だったかな」

 ペトルスがそこで息を呑み込んだ――さくらも内容は聞いているからその理由はすぐに分かった。連続殺人犯、もとい“シルバー・ハンマー”の対応に追われて他に暇人がいなかったからだ。“シルバー・ハンマー”が暴れまわっていなければ今、こうしてペトルスはさくららの側には存在しない。そう、“シルバー・ハンマー”さえいなければ、もっと護衛として相応しい人間がこちらについていたはずなのだ。それが最初の時に行われなかったという時点で、教会側の優先順位は決まっていたようなものだった。

「スカッリア国刑法第二百六十二条!」

 マクシミリアヌスが動じず喚く。

「“異世界人、これを殺害することならず”だ! 同条二項、“異世界人と知っていてこれの殺害を教唆、もしくは殺害に至る可能性の極めて高い立場に立たせた者もまた厳しく罰する”!」
「スカッリア国刑法第二百六十三条、“異世界人であることを知っていながらしきりにこれを隠し立てした場合、これを罰する”。“一項を前提として異世界人と知らずこれを殺害した場合、隠蔽を図った人間をこそ厳しく罰する”だ」
「え」

 と真佳が声を上げた。さくらのほうも気持ちは同じだ。マクシミリアヌスとチンクウェッティが滔々と並べ立てた法律を、一つも聞かされていなかったのだ。
 ペトルスが中指でもって眼鏡のブリッジを押し上げる。

「……スカッリア国刑法第二百六十三条、三項。“ただしこれが異世界人たっての希望であったことが証明された場合、一項及び二項は適用されないこととする”。……引用するなら最後までしていただきたいですね、チンクウェッティ大佐。彼女たちがいらぬ気を配るので」

 ……チンクウェッティは両肩を小さく竦めただけだった。むしろ教えないほうが驚きだという言外の言が透けて見えたような気がした。

「もう一度言うが、これは可能性でしかない話だということを忘れないでくれよ。俺は危機感を持つよう促しただけなんだから」

 チンクウェッティがこっちを見た。最も危機感を持つべき存在であるさくらのほうを。異世界人が故の守護という特権は今回の件においては適用されないことに気付かされた。その特権にどれほど助けられてきたことか……。所詮ここはさくらや真佳の住んでいるとは違う世界、言葉も常識も戦い方も規格外の予測不可能な異世界なのだ。この国の守護が無ければ生き残る術も持たないちっぽけな存在であることを、もっと慎重に叩きつけておくべきだった。
 ただこの世界に落とされたときと今では、全く違うところがある。
 ――チンクウェッティがほんの少しだけ相好を崩した。

「ま、連中もアンタの意思なくして無理に囮に使おうとはするまいよ。もしも嫌なら嫌と告げればいいし、必要ならこの町から逃げればいい。アンタんとこの騎士サマを見るに余計な警告だったかもしれんね」
「……そうでもないわ」

 呟いた。
 もしもチンクウェッティが何も言わないまま同じ決定を上のほうから下されて告げられてでもいれば、多分きっと教会全てに対する疑心を募らせていたに違いなかった。初めにこの世界に降り立って出会ったガプサの言葉を今もまだ鮮明に覚えている。“教会は信用ならない”――。
 でもその時とは違うことが一つはあった。今この世界には、異世界人だからという理由に惑わされずさくらや真佳を見てくれる教会の人間が、ここにちゃんといるということ。
 いいのか、とでも言いたげな不服そうな顔でマクシミリアヌスとペトルスがこちらを見た。――腕を組んだまま肩を竦める。

「……じゃ、その決定が下る日までに何とか貴方たちが“シルバー・ハンマー”を捕まえていきてくれるよう祈っているわ。私が出せる情報はここまで。最終手段を使うまで、これで頑張ってもらうことになるけれど」

 チンクウェッティが頷いた。火のついた煙草の端が上下した。

「約束する。全力を尽くそう」

 それでその場を後にした。もしかしたら本人直々に話を聞きたいという意見が出てまた呼ばれるかもしれないが、それまでは気にしないで過ごしてくれていればいいとも伝えられた。マクシミリアヌスやペトルスは未だ不服そうな顔をしていたが、さくらとしてはそれで十分だった。

「……」

 真佳が一人、チンクウェッティの執務室へと続く閉じた扉をしばらくじっと見つめていた。




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