くるくると巻き切られた包帯の終点と始点が結ばれるのを目で追った。白っぽい空白が流れた気がしたがペトルスの手元を見ていたおかげかその点については気にならなかった。とりあえずそうやって落ち着くだけの時間を置いて、

「……トラブルメーカーって、誰が?」
「アンタには絶対言われたくない」

 今までのお返しとばかりちょっとばかし可愛い仕返しをしてみたらぴしゃりという感じで一蹴された。心当たりがありすぎるので次の言葉は継げなかった。
 代わりに自分の向かいに座る大男のほうに視線を送る。上座に座るさくらとその横に付き添い包帯の具合を見ているペトルスを視界の端に追いやると、漬物石でも積んだみたいに片手で顔を覆いずーんと色々のことに叩きのめされているマクシミリアヌスが中軸に入った。
 ……椅子の前足を浮かせて揺れてみた。「倒れるぞ」項垂れてるくせに素早く突っ込んできたので椅子の足裏をあるべき位置にパタンと戻した。

「……悪かったと思ってるわよ」

 新しく巻き直された包帯に手を触れながら、微妙に怯んだ顔でさくらが言った。自室から持ってきた医療器具を鞄の中に収めてから、ペトルスが真佳の隣に座する。「別にサクラさんが悪いというわけではないでしょう」座しながら肩を竦めてフォローを入れた。

「むしろこうして生きて帰って来てくれたことに感謝すべき状態ですよ。生きてなければこれからの旅程も何の意味もないものになってしまうわけですものね」
「別にサクラを責めとるわけではない」自分だけが彼女の帰還を喜んでないみたいじゃないかみたいに拗ねた表情で大男がのっそり言った。「俺はこれからの危険を考えておるのだ。よりによってシルバー・ハンマーとは……。しかもこうして貴重な情報を持ち帰った以上、奴が再び彼女を狙う可能性は百に近い。これ以上この場に引き止めておくなど危険すぎる! 上の命令に背いてでも即刻町から出るべきだ!」
「何もそこまでしなくても……」
「人命がかかっておるのだぞ!」

 窘めようとしたらばんっとテーブルの天板を叩かれた。狙われちゃったものは狙われちゃったでもう仕方がないと思うんだけどなあ。

「と言って、どうするんです? 偽シルバー・ハンマー事件の裁判は明日でしょう」

 ペトルスの言う通り、今日これから出立するとなると当然裁判には出られない。自白事件であるため必ずしもさくららが出頭して証言しなければいけないわけではないものの、出来る限りいてほしいとは言われていた。事件を解決に導いたさくらや、或いは危うく殺人犯にされかけたペトルス何かは特に。
 さすがに、と真佳は思う。

「さすがにそれすっぽかすわけにはいかないでしょ?」
「しかし……」
「判決が下るのはせいぜい二週間後くらいでしょう? 二週間くらい何とかなるわよ……一人で出歩かないようにするし、教会の敷地内であっても屋外には一人でいないようにする」
「……むう」

 唸ったままそれから何も口に出さないということは、どうやら渋々ながら納得してくれたらしかった。まあ……真佳としても一応心配ではあるのだけど。でもそんなことをとやかく言ったってこの責任感の強い同級生は簡単に事を放り出すとは思えないから。それに、多分……シルバー・ハンマーの情報をアートゥラとその家族や町の人たちのために、出来うる限り提出したいと考えているのは間違いないし。
 さくらが包帯で巻かれた患部のほうへもう一度左手をやってから、ぱちぱちと二度瞬きした。

「……凄い。もうすっかり痛みが引いた」
「これでも医術士ですからね。たまごですけど」
「何か魔術式やってるの見た……包帯にもやってるの?」テーブルの上に腕を組んで上体を預けながら尋ねると、「いいえ」とペトルスが首を振る。
「包帯には魔術式は使ってませんよ。ガーゼに染み込ませた薬草と魔術式で十分です」
「結構痛そうに見えたんだけど」
「ああ、まあ僕的に見たらの話です。この国で医術に使う魔術式は早回しですから……あー」

 そこで一旦言葉を切った。黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げて、濃緑色の双眸を一、二度ふらふらと彷徨わせる。

「……要するに時間の倍速化です。その部位だけ、患部だけを早回しにすることで細胞の再生能力を、即ち自然治癒力を活性化させ、早めに治るよう促進させるってわけですよ。年齢や怪我の具合によって勿論差は出てきますから魔術式に違いは出ます。複雑な魔術式であればあるほど自然治癒力を促すほうは一層期待出来ますが、しかしその場合部分的な細胞の老化については真剣に考えなければなりません。そこがこの医術の弱点でもあるわけで……ええと、まあしかしサクラさんの場合は年齢的に見ても怪我の具合的に見てもそう煩雑な魔術式は必要なかったため、普遍的な魔術式になりました。鎮痛の薬草もどうやら効いてるようなので問題はないでしょう。アートゥラの家で冷やしてもらったのは良かったですよ。僕が診たときには腫れもほとんど引いていました。少し痒みは出てくるかもしれませんが、治ってる証拠なのであまり気にしないようにしてください」

 自分の長広舌から逃げるように無理矢理話をさくらのところに落とし込んだペトルスに「ふうん」と相槌を打ってから、改めてさくらの頭に視線を向けた。まじまじと見ているとさくらのほうから無言のチョップが脳天に飛んできたが敢えて避けずに「ぴぎゃー」と宣うだけにした。
 ……元の世界ではどれほどの怪我になっていたのか真佳には想像も出来なかったが、何にせよ大した怪我でなくて良かった。シルバー・ハンマーに襲われたとさくらの唇が動いたときは心臓を何かに鷲掴みにされた気分になった。本当に良かった。生きていて。

「……同じ舌と同じ頭で同じことを口にしよう」

 さっきからずっと何事かを唇の先で紡ぎ続けていたらしいマクシミリアヌスがそこで唐突に言葉を上げた。「――あなたは同じ舌と同じ頭でそれを言うのか――」ペトルスがそれに似たような言葉で素早く唇を震わせる。多分聖書のもじりだろう。

「サクラ、その話を」――というのが何を指しているのか、特定するのに時間が要った――「教会の人間にする気があるか」

 さくらのほうを振り返る。さくらの銀の双眸に揺らいだ気配は見当たらない。真佳が思い描いたさくらの覚悟は、やっぱり想像通りだったということだ。

「無論よ。まさかこれほどの情報を持ったまま逃げ出したがってるとでも思ったの?」

 組んだ手を添えられた唇から短い吐息が吐き出され、それでマクシミリアヌスの赤茶色をした口髭が揺らされた。そこに含まれた真意と感情が果たしてどちらに当たるのか、真佳が知らないのと同様に恐らくマクシミリアヌスだって分からない。

「難儀なものだ。君が挑戦的な道を選んだことを悲しむべきところであるのに、同時に民を見捨てなかったことに感謝の念が尽きないとは。俺は恐らくどれかの選択を間違ったのだ」
「珍しい。今まで後悔も泣き言も言わないまま直情径行してきたくせに」
 さくらの言にマクシミリアヌスが右の眉を跳ね上げた――「俺だって選択を過つことだってあるし、この道を選んでいなければと後悔することだってある」

 心外だと言わんばかりに仏頂面を繕って。それは人間なんだから当たり前だと思うんだけど、この時ばかりはさくらの方に一票かなあと余談を戻す前に考えた。
 ……正義感に付け込まれて請け負ってしまったのだとしても、マクシミリアヌスがこうやってちゃんと“シルバー・ハンマー”の事件を真面目に捉えてくれていることに言い知れない安堵を抱く。巨木が巨木であることを見せつけられてしまったような、踏みしめているそれが固い地であることを思い知らされてしまったような妙な感覚。“当たり前の死角”。溺愛されて本質を見失われてしまったら目も当てられない。彼は捨てれる人間だ。いや、捨てれる人間になってきた。

「……皆の前でキョージュツするの? さくらが」

「いや」とマクシミリアヌスが首を振る。

「全員の前でなくともいい。俺とあともう一人、スッドマーレで事件に関わる責任者がいれば十分だ。一度や二度じゃ収まらんかもしれん。大層時間を食われるだろうが」
「いいわよ、それは。理解はしてる。どの道ここに滞在中、特にすることもなかったわけだし」
「……恩に着る」

 とマクシミリアヌスが言った背景に、スッドマーレで出会った多くの人の姿が見えた。捨てれるくせに、捨てられない人だ。そう珍しいことでもない。

「じゃ、明日裁判が終わった後にでも行って来てはどうですか? 情報は早いほうがいいでしょう。マナカさんのほうは僕に任せて」

 未だ子ども扱いだと思ったがそこで茶々は入れなかった。マクシミリアヌスがテーブルの向こうで頷いた。

「そうしよう。その前に、事前に俺に言っておくことはあるか? 取り調べを円滑に進めるためにいくらか知識を貰っておいたほうがいい。さっきの話の他に、何か俺に言うことは?」
「ああ……」

 さくらが小さく呟いて、ポケットから引っ張りだしたそれをコトリと天板の上に置く。小さな銀の煌きが天井の照明に照らされた。さくらの手のひらにも十分収まる、小さな小さな――。

「……何だこれは。装身具?」
「イヤリング。さっき説明の最後で言ったでしょう。アートゥラが拾っておいてくれたもの……多分、“シルバー・ハンマー”の持ち物だったものだと思う」

 天板に置かれたそれを受け取って、窺うようにマクシミリアヌスがさくらを見た。マクシミリアヌスの手にあるとそれは一層小さく見える。ほとんど棒と言ってもいい細い長方形のシンプルな飾りが大男の片手の中でシャラシャラ揺れた。

「……これを実際“シルバー・ハンマー”の影の中に見たことは?」
「ない。……でもまあ、一応出しとくわ。あの場所でそれがそう長時間落ちたままでいられるとは思えないし、“彼”のものであるという可能性は十分あるもの」

 ……ああ、なるほど、と真佳は思った。確かにあまり富裕な者が住まない地域、そんな高価そうなものが落ちてあったら誰かが即座に拾い上げてそのままどこかへ売り飛ばしそうな感はある。日が落ちきる前とは言え遅めの時間にあそこを歩いたことのある真佳には、そういう飢餓的な欲求があそこに満ち満ちているのを肌で感じて知っている。
 握りこむように耳飾りを収めながら、マクシミリアヌスは力強く頷いた。

「よかろう、俺が届けておく。確かに“シルバー・ハンマー”の捜査係に」

 マクシミリアヌスの拳に収められた耳飾りのほうに視線をやった。……何かが引っかかって仕方がない。



エアリエルの歌

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