斜め前を上目遣いに睨み見た。西洋甲冑の冑の部分が肩に乗っかって揺れている。その向こうにある青天から流れる陽光が、冑に当たって屈折的なラインを描いた。薄々感付いていたことではあるが、当たり前のようにあれで外に出るらしい。通りすがった町の人が奇異な視線を冑へやった。
 ……もう随分歩いてきたように思われるのだけど、一体さっきからどこに向かっているのだろう。どちらかというと下りが多いから、海の方に向かっているとは思うんだけど……。この男の足取り的にも、何か目的を持って歩いているようには思えない。ふらふらとあてどもなく小路を進んでいるような気配がする。時々ちらっと路地を覗いては、違うかというふうに元に戻って歩き出す。そういうことの繰り返し。
 ……本当に時間が無いんだろうか?
 もう随分質問するのを我慢していた真佳はついに耐え切れずに口を開いた。

「……お兄さんはさ、何者なの?」
「何者とは?」

 普通に答えが返ってきてほっとした。最初に出会った(?)とき同様、沈黙を貫かれるかと思った。

「第一級魔力保持者なのにあんなところで鍛冶屋さんっぽいことをしているし。何で教会のほうに行かなかったの?」
「ふむ。教会があまり好きではないからかもしれないね」
「……好きではないの?」
「恐らくね」
「ガプサみたいに?」

 ちらりと男の視線がこっちを向いた。……気がした。アーメットヘルムの可動式バイザーがこっちを向いたからそういうふうに思っただけで、実際に彼がどこを見ているかというのは冑に阻まれて分かりにくい。

「私は教会は嫌いだが、だからと言って新教派というわけではないよ」

 思わず目を瞬いた。……ああ、そういえば……ガプサはそもそも、彼らが旧教と呼ぶ教会の体制に異を唱え新教を作り上げたことから始まったのであって、教会が嫌いだからじゃあガプサで、という話ではなかったのだっけ? さくらやマクシミリアヌスから軽く聞いただけだからあまり実感は沸かないけど。
 ――今の新教と旧教みたいな感じ――赤いフードを被った青年の、幼さを残した声音が低く脳裏を叩いた。

「子どもの頃に調教させられはしなかったんだね?」

 と言うと冑男はくつくつ笑った。

「調教。調教ね、君は本当に物怖じもせず物を言う」

 ……一瞬、そこに刺が含まれていないのかいないのか、判断に迷った。表情や瞳の揺らぎが見られないというのは思った以上に難儀である。

「私がこんなものを被っていても臆せず話しかけようと思ったのは、君が初めてだ。くだんの推理も実に良い娯楽だったよ。話に応じて正解だった」
「……どうせ」

 どうせ私はさくらみたいに筋道立った推理は出来ませんよと胸中で唇を尖らせた。探偵ごっこ、という語に感化されたのだから仕方ないじゃない。理詰めで犯人を(――冑の人は犯人ではないけれど)一回、追い詰めてみたかったんだもの。格好良く。
 長身の男は尚も冑の中でくつくつ笑い続けている。

「君の言う調教は、これでも受けさせられているのだよ?」
「えっ?」瞬いた。
「――ただ、その道中で調教の効果が切れたのだ。私は教会から逃げ出した。それだけの話だよ」

 そう言って男はまた、別の路地を覗き見た。ここもまた違ったらしく(何を探しているのか分からないけれど)口のところで尖ったバイザーがゆるゆると右に左に動いた。……首を振っている、のだと思う。多分。

「……人を殺す教会に絶望した人間は、恐らく、私だけでは無かっただろうね」

 ぱっと、閃光のように何かの光が瞬いた――。――七年前のことだったよ――幼さを残した青年の声がまた言った。――オレの知る限り初めての宗教統一化運動だったからか、教会の行動はひどく過激なものだった――。
 男の背中を仰ぎ見る。
 ……何となく、彼の言う“人を殺す教会”が、隣国との戦争を指すものでは無い気がした。

「それで冑?」

 男はちょっと驚いたようにこっちを見た。
 ……気がした。

「……そうだね。そうかもしれないね」

 はぐらかされた、と思った。引き攣れたような物切れの、静かなハスキーボイスが……何気ない感じで足元に沈んだ。



ブコ・ネロ―BLACK HOLE―



 あった、と男はそう告げた。海の辺りまで小路を散々歩かされ、日は大分西のほうまで傾いている。濃厚な潮の香りが鼻をついた。日没までもう間がない――。さくらとの約束が脳裏をよぎる。

「やあ、君」

 と親しげに男が話しかけた先を見て、思わず真佳はぎょっとした。街灯の灯りすらない暗い小路で、一人の男が立っていたのだ――膝の先すら覆う古ぼけて色の変わったロングコートに、チューリップハットを被った白髪混じりのぼさぼさの頭髪。コートの下は年月を経てすっかり生地のすり減ったティーシャツとズボンで、脇にどこからか持ってきたらしい角の潰れたアタッシュケースが置いてある。みすぼらしい男にはあまりに不釣り合いなアタッシュケースで、ぞんざいに、でも大事そうに足元に転がしているのが不思議だった。

「君が“銀の人”だろう?」

 “銀の人”――。シルバー・ハンマーの魔術属性を想起して、一瞬間だけぞくりとした。
 相手の男はついと視線を冑頭の男へやって、「……」ついでとばかりに真佳も見た。しょぼしょぼさせた小さな黒い双眸は白目のところが淀んでいて、周辺が腫れて厚ぼったくなっている。くすんだ金髪と同じ色をした無精髭が、赤らんだ頬からぽつりぽつりと湧き出ていた。片手に握られたスキットルはだらりと体の横で垂れている。

「……見ねぇ連中だな」

 と男は言った。
 日本語で話しかけられたことに戸惑ったふうではあったけど、一度口をもにょもにょさせるとそれから後は実に流暢に異界の言葉を口にした。歯のところはまるで麻薬でもやっているみたいに薄く黄ばんでボロボロだった。時々、歯と歯の隙間からヒューという隙間風みたいな音がする。
 真佳は冑の頭を見た。何だかよく知らないが、ここで頼りになるのはこの男しかいないのだということは何とはなしに理解した。冑の男は軽く笑うように肩を竦めて見せてから、

「冑の下にはあなたの見慣れた顔があるかもしれない」

 ペッ、と、相手の男がゴミの吹き溜まりみたいな小路に唾液の塊を吐き捨てた。甲冑男はそれでも気を悪くしたふうもなく、被り物の下でくつりくつりと喉を鳴らして尚言った。

「気を悪くしたなら謝ろう。こんなことで交渉をフイにしたくはないものね。何せ話はとても簡単なんだ。君はある特殊な商品を扱う商人で、私は君のそれが欲しい。ちまたで噂の銀の鎚――シルバー・ハンマーを」

 目を
 瞠った。
 ……一つも声が出なかった。なん、何て言った? 銀の鎚? シルバー・ハンマーを買い取りたいだと?
 ――相手の男がぐびりと酒を流し込む。緩められていたスキットルの蓋が締められた。顎に垂れた琥珀色の液体を、長い年月を経て強張った赤黒い手の甲でもってひどく乱暴に拭い去る。

「……どこから聞いた?」

 真佳にとっては慣れ親しんだ日本の国語が荒く揺らいだ。強弱の付け方がスカッリア語のそれに近い。酔漢に戻した視軸の先を、もう一度冑の男へ取って返した。

「どこから、というのが重要なのかな?……」

 甲冑男は揺らがなかった。
 いや、冑の中がどうなっているのか真佳は知らない。その時甲冑のその下では、瞳は揺らぎ頬は引き攣れ唇は震えていたのかもしれなかった。しかし、甘く掠れた声にも石膏で作ったような繊細そうな指先にも、ズボンの生地に覆われたすらりと長い足にさえ――外見のどの部分を取って見ても、揺らぎの兆候は徹頭徹尾見られない。
 ……男がもう一度唾を吐いた。

「その女、秘密は守れるのかい」

 最後の抵抗とばかりに男は真佳へ視線を向けた。とろりと濁った深い黒目が落日の明かりのもとでもはっきり見える予感がして、思わず一瞬息を飲んだ。こんなところで燻っていることへの鬱屈と遊惰な諦念と……それからあとは、きらきら光る日常に向けた嫉妬と羨望と怨嗟とがごちゃ混ぜに入り乱れた、沼みたいな深い目色。それはアンダーグラウンドに生きる人間特有の、感染する類の絶望だ。

「守れるとも」

 と冑の男は言い切った。
 ……目を向ける。
 こんな男の店とも言えない小さな“店”を知ってるなんて、この男は本当に――

「そうだろうね、ねぇ……マナカ君」

 ――何者だ。

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