取調室から出た先で、見覚えのある顔とかち合った。頬まで覆うもみあげを作り上げた金髪にオレンジとも取れる茶色い目。髪型は最初に会った時と同様の、前髪を高く上げるポンパドールにきっちりセットされていた。

「よお」

 片手を上げて陽気に声をかけられた。どこかから歩いて来たようだったり、これからどこかへ行くような素振りは見られない。ということは、自分たちの中の誰かにどうやら用があるらしい。
 えーっとと一瞬考えてから、

「チンクウェッティ大佐。何でここに」
「ハハハ、名前覚えてなかったろう」
「……この世界の人たちの名前は覚えにくくて」

 ついでに発音も難しい。正直にカミングアウトしてみると、大佐は口を開けて実に闊達に笑ってみせた。

「同じだ。俺もアンタらの世界の名前は、発音のしにくさからかあまり頭に入ってこないことがある。だがアンタらの名前は覚えたぜ。マナカとサクラ。あの時は名前を呼ぶ余裕すらなかったな、マナカ」

「知り合い?」とさくらに囁かれたので、一応はと頷いた。あの時はほんの数十分しか話す時間は無かったけれど、互いの立ち位置を互いに把握している、一応の知り合いだ。
 ふうんとさくらは頷いて、

「この人、私の事情聴取相手」
「「えっ!?」」

 ペトルスと二人、吐いた言葉が重なった。
 ……まさかそこのラインが出来るとは思わなかった。そういえば、事情聴取から出た後すぐにマクシミリアヌスに呼ばれてしまってここへ来たため、さくらの事情聴取を行った相手もペトルスの事情聴取を行った相手も、真佳はまだ聞いたことが無かったのだ。時間短縮のためとか言われて別室に分かれさせられたので相手が同じわけはない。
 チンクウェッティはこちらの大げさな反応に歯を剥きだしながらちょっと笑った。

「いや、おかげで楽をさせてもらったよ。彼女は簡潔で要点を的確についた説明をするんだなあ。こちらの意図を汲み取るのも早いし、事情聴取のしがいがあった」
「……あまり褒められている気がしない」
「何を言う。説明の上手さはどこへ行っても重宝される重要能力だぜ」

 さくらは肩を竦めただけだったが、チンクウェッティの話を聞いて真佳は成る程と納得したものだ。事情聴取が自分だけ長引いた理由はそういうことか。ダントツビリだといっそすがすがしい。

「それで、どうしたの? 事情聴取はもう終わりだと思っていたのだけれど」
「ああ、事情聴取は終わりだよ。アンタらはもう帰っていい。ただちょっと、アンタらの騎士にな」
「騎士?」
「何だ、まだ帰っておらんかったのか?」

 チンクウェッティの吐いた単語を復唱した時、丁度後ろからマクシミリアヌスの面食らったような声が飛んできた。分厚い書類を小脇に抱えて、片扉のノブを握った状態でその場にいる全員を見下ろして――
 目をぱちくりと瞬かせた。

「チンクウェッティ大佐」
「よお、中佐。この三人との話し合いは終わったみたいだな?」
「いや、単なる事情聴取です。それより、どうかなさいましたかな。そろそろ会議だと記憶しておりますが。大佐もくだんの事件の捜査陣の一人でしょう」
「そうだとも。当然出るよ? ただ、どうやらアンタらがかの新聞記者を気にしているようなんでな」

 マクシミリアヌスの方を振り返る。大男は太めの眉を強く寄せて、一度ちらりと真佳の方に視線を合わせてから、チンクウェッティ大佐に向き直った。

「まあ、一応気にかけてはおりますが……。それがどうか致しましたか」

 マクシミリアヌスが敬語だと何だかちょっと可笑しいなあと考えて……そういえば今までマクシミリアヌスが彼の上司と話しているところを目撃したのは、一度きりだったことを想起した。相手はこの国のナンバー2。なんとかかんとか枢機卿。……この国の人の名前を覚えるのはやっぱり苦手だ。
 大佐は一瞬煙草を探すような素振りを見せて後、ここが治安部隊棟の建物内であったことを思い出したのか渋々ポケットに突っ込んだ手を下ろした。頭の半分を確実に煙草に持って行かれている風にこう答える。

「なに、どうやらあのご老女――スィニョーラ・ミラーニ、だっけか? 彼女がくだんの連続殺人鬼の次にとある屋敷の動向にかかりきりらしいのでね」
「とある屋敷の動向?」マクシミリアヌスが眉根を寄せる。チンクウェッティが頷きを返す。
「ラ・ロテッラ家、がそれらしい。と言っても首都から来たアンタらには分からんかな。教会に比較的近い位置にある屋敷だよ。つまり、どういうことか分かるな?」

 お金持ち……或いは教会の高階級関係者か。最初にマクシミリアヌスが説明してくれたことによると、教会に近い“上”の界隈は上流階級の溜まり場だ。この世界で言う“上流階級”とは、そのどちらかを指す言葉である。

「ああ……成る程、教会の……。そういえば聞き及んだことがあるような。確か、この町の将軍がそういった名前ではありますまいか」

 チンクウェッティが満足そうに頷いた。白い歯をむき出しにしてにやりと笑う。

「そう、ラ・ロテッラ准将だ。どうやらやっこさん、その准将を狙ってるらしくてな。勿論マルテッロ・ダルジェント事件と平行して複数の事件を追っている可能性も無くはない。が――」
「くだんの将軍、或いはそのご家族が、マルテッロ・ダルジェント事件に関与している可能性を、スィニョーラ・ミラーニが睨んでいる可能性もある、と」
 そういうことだ、とチンクウェッティ大佐は首を振った。「尤も、どう好意的に見積もってもたかが素人の推測だ。例え今回の事件に関わりのあることだとしても確固たる証拠も無いまま例のご老女が突き進んでいる可能性もあるし、勘違いか嘘に振り回されているのかもしれない」

 とそこで大佐は口を閉じた。天井から下がるシャンデリアの明かりが彼の瞳を鮮やかな橙に染め上げる。その虹彩がちらりと廊下の左右を見回した。この辺り一帯は取調室の扉が静かに整列しているだけで、左右の曲がり角の向こうにも人の気配らしきものは感じられない。
 チンクウェッティ大佐は静かに自身の鼻を指さした。鷲鼻の、若干赤みのかった白い鼻。

「――ただ、俺はあの女、“鼻”は確かだと思うね」

 じゃ、会議室でまた会おう――踵を返した背中越しにそう言って、チンクウェッティ大佐は片手を上げた。マクシミリアヌスの方を見る。チンクウェッティも身長は高いがマクシミリアヌスはそれより更に二十センチは大柄だ。大佐を見上げるのに慣れた首で大木みたいな男を見上げるのは至難の業ではあったけれど、随分この角度にも慣れてきたような予感もする。

「……どうするの?」

 思わず問うた。
 真佳の隣ではさくらとペトルスが、同じようにもの問いたげにマクシミリアヌスを見上げている。我らが巨木は樹幹に刻まれた模様のように眉間のシワを深くして、やがて浅く息を吐いた。

「まあ、軽く漁るくらいはやってみよう。もしも本当に関係があるのなら見過ごしてはおけぬ情報だからな……」
「確かだと思う? 新聞記者の見解」

 腕を組んだまま肩を竦めながらさくらが聞くと、ごつごつした手で後頭部を引っかきながらマクシミリアヌスは頭半分といった体で頷いた。

「何とも言えんな。だが、時としてそういった職種の人間の方が、先に真実を掴み取っていることもある。一般市民だからと言って侮ってもいられまい」

 太い腕を組んで鼻から荒い息を吐き捨てるマクシミリアヌスを少しく意外に思って見つめなおした。そういう考え方もするんだな、と、何となくだがそう思ったんである。

「さて、俺も会議に向かわねば。随分時間を食ってしまった」

 とマクシミリアヌスは片眉を気難しそうに上げてそう言った。
 そういえば……今何時だろう。昼前にアートゥラの家へ行って、そのまま死体を発見してしまって事情聴取を受けて……。お腹の虫がぐうと鳴った。立て続けの事情聴取でお昼を食べる時間など勿論なく、胃の中はすっかり空っぽだ。下手したらおやつの時間まで過ぎてしまっているかもしれない。
 マクシミリアヌスのごつごつした手で頭に触れた。

「早く帰って、飯を作ってもらうといい。ルーナや他の修道女たちも君たちの帰りを待っている頃だろう。俺はまだ暫く帰れそうにも無いからな。送ってやれんのが心苦しいが」
「近くだからだいじょーぶだよ。教会の敷地内で何か問題が起こるわけない」
「ぼくも付いていますしね」

 最後にペトルスが請け負ったので真佳は笑って頷いた。真佳の強さを揶揄しておいて、護衛なんていらないでしょうにと言いながら、それでも何だかんだでこうして律儀に護ってくれる。
 マクシミリアヌスも頷いて、最後に真佳の頭をぽんと優しく撫でながら手を引いた。

「うむ。皆心配しておるだろうから、寄り道せずに帰るのだぞ」
「寄り道する場所なんて無いでしょう」

 さくらが呆れたように突っ込んで、それでペトルスに連れられて左の方へ歩き出した。チンクウェッティ大佐が向かったのとはどうやら逆の方向だ。会議室は教会の奥にあるらしい。マクシミリアヌスが向かったのも奥の方。
 最後にマクシミリアヌスが背を向けたまま右手を上げたので、見えないだろうけどと思いながらも片手を振って応えておいた。会議大変だろーけど、まあ頑張って。

「――ずっと考えていたのだけれど」

 角を曲がってもうすっかりマクシミリアヌスの姿が見えなくなってから、何気ない口調でさくらが言った。

「あの銀の鎚は、どうしてあの時に限ってあそこに落ちていたのかしら」

 目を瞬いた。さくらを挟んで左隣にいるペトルスも、どうやら同じように目を瞬かせたようだった。

「……えっと、どういうこと?」

 知らず視線を彷徨わせながら訪ねていた。
 三人が並ぶとそれだけでいっぱいいっぱいになる狭い道。左側には片扉の群れが整然と列を成して並んでいるが、右側には何の変哲もない白い壁が続いているだけで窓らしきものも何も無い。昔はこの町も戦場だったと聞いているから、若しかしたらその名残でここも迷路みたいになっているのかも。人影は無く、こちらの話を盗み聞きしているような気配も特に感じない。さくらが唇を湿らせた。

「……“シルバー・ハンマー”。これまで教会が凶器を確定出来ていなかったということは、凶器を思わせる片鱗すら現場に残していなかったということでしょう。ここの治安部隊員は知らないけれど、少なくともマクシミリアヌスはそれに気付けないほど馬鹿ではない。なら、どうして今回はハンマーを置いて行くなんていう失態をやらかしたのか」
「……それも計算の内だったとか?」

 さくらの言い方から鑑みるにそれしか解答が思い浮かばないのだが。
「いや」とさくらの向こうでペトルスが小さく口を挟んだ。

「どちらかというと、やむを得なく、と言うのがしっくり来るような気がしますよ。わざわざ凶器をこちらに教える意味というか、真っ当な理由が分かりませんものね。例えば鎚を落としてしまって、拾いに行く時間が無かったとか……あっそうだ」

 歩きながらペトルスがパチンと高く指を鳴らした。廊下の壁に反射したそれが真っ直ぐ鼓膜を叩いて消える。

「アルブス――アートゥラの眷属があの場にやって来たから、とは、考えられないでしょうか」
「アルブスが?」

 きょとんと尋ねる。隣でさくらが頷いた。

「そう。私もそう思ったの。だからあのハンマーは犯人にとって予期せぬ落し物だったし、それによって凶器が割れたことも、新聞にまで掲載されてしまったことも、全て犯人にとっては都合の悪い出来事だった」

 神妙な感じでペトルスが首を縦に振った。黒縁眼鏡のブリッジを指の腹で押し上げて、一、二度上唇を湿らせた。

「……犯人のそれらしい動機は未だ不明の状態です。被害者に共通点はありませんでした。年齢も性別も、身分ですらバラバラです。動機など無い無差別殺人……行き当たりばったりに殺人を繰り返す愉快犯なのではという意見に、どうやら本部も傾きかけているようですが……」
 さくらが小さく頷いた。「今回の件が犯人の気に入らなければ、同犯人による初めての……動機が明確な殺人事件が繰り広げられるかもしれないわね」
「えっ」

 と思わず声をあげる。二人揃ってどうやら何かを通じ合っているらしいけれど、傍から見ている分には何が何だか全くさっぱり分からない。「つまり……どういうこと?」

「つまり」とさくらが口を開いた。「ミラーニ女史が狙われる可能性が浮上してきた、ということよ」

 もう一度同じ一音を驚きとして上げそうになった。
 ――ミラーニ女史が狙われる? 何で? あっ、新聞で大々的に凶器を晒しだしたから? でもそんなの、

「凶器のことをミラーニさんに教えたのは私たちだよ、なのにミラーニさんの方を狙うなんて、理不尽すぎや……しないかね」

 考え考え言ったので最後が変な具合になった。
 さくらが軽く吐息して、さりげなく前後に視線を巡らす。白い壁と扉が続く閉鎖空間はいつの間にか過ぎ去っていた。広さは相変わらずだが、右側の壁に窓がある分開放的な廊下になったと思う。窓から見える空間は真佳が見たこともないもので、恐らく宿泊施設がある側とは正反対の方面に開けているのだろうと考えられた。当然ここからでは海まで下りゆく町は見下ろせない。

「……ミラーニ女史は私たちと違って名と顔が知られている。例の殺人鬼がもしも感情に流されず道理にかなった考え方の出来る人間なら、彼女を放って原因である私を狙うかもしれない。どちらにせよ、正体を聞き出すためにやっぱり彼女と接触するでしょう。あの記者魂を鑑みるに、どうやら力ずくでないと教えては貰えなそうだけど」
「けれどそれも、犯人がこの件を快く思っていなければの話ですよ」

 眼鏡のツルを押し上げて、険しい顔でペトルス・ズッカリーニが補足した。
 視線を窓の向こうに向ける。広場の向こうに林があるだけ。ここからどんなに目を凝らそうとも、町の様子は見えやしない。……町を見下ろせないこの場所が焦燥感を掻き立てた。

「快く思わない確率は、どれくらいだろう」

 低い声音で訴えた。
 ……ペトルスが頬をひくしと引き攣らせたのが目に見えた。さくらが暗く、片側の口角を持ち上げた。

「……待ってください。そりゃ犯人像も何も分からない状態ですから、五分五分ですとしか答えられませんけど、しかし……」
ミラーニ女史が殺害されたら(・・・・・・・・・・・・・)、分かるかもしれないわね」
「サクラさん……!!」

 低声で叱咤するようにペトルスは言ったが、多分さくらが言わなくても結論は分かりきっていた。
 唇を、湿らせた。

「……何とかって准将の屋敷に張り付いてるって言ってたよね」

 ペトルスが額を叩いて頭を抱えた音がした。



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