「さっき言った通りですよ。アートゥラの眷属を探しに出たところで遺体を見つけた。ぼくもマナカさんもサクラさんも、無論アートゥラだって現場には指先一つつけてません。それより、アートゥラは無事家に送り届けてくれたんでしょうね?」

 マクシミリアヌスがふうむと唸りながら顎鬚をしごいた。最後の質問に関してはとりあえずうっちゃっておいて、前半の説明の方から先に考えておこうという魂胆だ。
 ペトルスはよく律儀に繰り返せるよなあと感心する。これより以前に個別で受けた事情聴取では真佳も極力丁寧に聞こえるよう説明したが、あれをもう一度というのは流石に無理だ。気力が尽きた。面倒くさい。二等兵の肩章をつけた人が淹れていった紅茶でしきりに唇を潤すことが、ここ数十分で行った唯一の真佳の仕事である。
 真四角の床に真四角の壁に真四角の天井――。壁には鉄格子のハマった窓が一つあるきり、部屋の中央にはスチールデスクが一つ、主のいる椅子が四脚。……ミラーニ女史の魔の手から逃れでた後、連れて来られたのがここだった。どう考えても単なる第一発見者から話を聞くのに利用される部屋ではない。元の世界にいた頃、刑事ドラマでこういう部屋を見たことがあった。マジックミラーの設けられた取調室だ……。この世界にもマジックミラーがあるかどうかは謎だけど。

「ふむ、アートゥラ・ジャクウィントだろう。安心したまえ、彼女なら、勿論あの後すぐに家まで送り届けたとも。修道女に簡単な――本当に簡単な質問をしてもらったが、怪しい人影は見なかったらしいし、君たちの証言とも食い違うところが無かったのでな。まあ、何か分かればまた話を聞きに向かうかもしれんが……」

 怪しい人影、という言葉にほんのちょっとだけ心臓が跳ねた。あの時――アートゥラの眷属を探している最中に出会った、あの甲冑頭の男のことは、考えた末に結局マクシミリアヌスには話さなかった。怪しい人影にカテゴライズされることは分かるのだけれど、事件と関係があるという証拠はただの一つも無かったから。……そもそも、冑を被っているというだけで怪しいと決めつけるのはいかがなものか。これは非人道的な解釈である。うん、そうに違いない。

「それはそれでいいとして」

 とさくらが言った。

「あのハンマーは結局凶器だったの?」
「いや、それは解析中でだな……」
「十中八九凶器ですよ」

「ペトルス!」とマクシミリアヌスが叱咤したが遅かった。真佳の耳にもさくらの耳にも、その声はしっかりと届いていた。
 視線を巡らす。さくらとペトルスとマクシミリアヌス、自分と三人しかいない閉鎖空間。……成る程、異世界人を含めて内密な話をするにはうってつけというわけだ。マクシミリアヌスの予定に、この展開はきっと入っていなかっただろうと思うけど。
 さくらが眉をさっと顰めた。

「どういうこと?」

 眼鏡のブリッジを押し上げながら、彼は口を開いた。

「……元々、そうだろうとは思われていたんです……。形状はどうあれ、銀で生成された何物かで撲殺されたことは間違いなかろうと」
「毎回大きさが違うかったから……」

 呟く。
 二日前、ペトルスから告げられたことを自然思い出していた。あの時ペトルスが胸に秘めていた秘密事が、恐らくこの“銀”の部分だったのだ。
 ペトルスが小さく頷いた。マクシミリアヌスの方は頭を抱えてすっかり諦めモードである。

「これまでに、遺体の皮膚に付着していた銀の欠片と、少量ですが同一人物のものと思われる魔術痕が発見されています。ただ、魔術で作った物体でもって殺害を行っているので、第一級か第二級かは未だはっきりしていません。カッラ中佐のように魔術属性が分かりやすいものであれば、その威力でもって見分けることも可能だったんですけどね」
「……とは言え、ハンマーではないかという話は出ていただろう」

 腕を組んでそっぽを向いて、マクシミリアヌスが加勢した。真佳とさくらを殺人事件に関わらせないよう腐心していたのだろうけれど、ここまで来たらそれも既に実のないことだと気付き諦めてしまったのではと考えられる。
 ペトルスがまた一つ頷いた。

「頭蓋骨に円形の陥没骨折が見られましたからね。ハンマーのように攻撃面の小さな凶器で打撲された場合、攻撃面とほぼ同様の陥没骨折が起こることはままあります。それでも大きさは遺体によって散り散りでしたが」
「連打されたが故の大きさの違い……ではなく?」

 考えながらのさくらの発言に、ペトルスが驚いたように目を見開いた。

「連打された場合、ハンマーより大きな弧状の骨折線が生じたりもするでしょう。それが原因での大きさの違い、だったのではなく?」
「……」一瞬間だけ固まってから、「ああ、ええ、違います。そういったことも考慮に入れて、考えられていましたから」

 成る程、と口の中でさくらが呟いたようだった。彼女とペトルスの間にいる真佳にしか聞こえなかった呟きだろうとは思うけど。何ともまあ難しそうな会話である。真佳は真佳で紅茶で喉を潤す作業を続ける他道は無い。
 コホンとペトルスが空咳した。

「まあそういった理由で、確かにハンマーも視野には入れられていましたけども、それ以外の可能性も捨てきれないということで、書類上では“凶器不明”の状態でした」
「だが今回、現場で銀の鎚が見つかった……」顎鬚をしごきながらマクシミリアヌス。ペトルスがそれを首肯する。
「ええ。もしもあのハンマーが被害者の傷口と一致すれば、これ以前の殺害事件もまた、鎚が有力な凶器として考えられることでしょうね。どうせ魔術で生成されたものであることは間違いないんですから、大きさの違いもこれを覆せるほどの障害にはなり得ないでしょう」

 やっぱり、と真佳は思う。
 やっぱりあの時、ライスコロッケと奮闘しながら尋ねたことには幾つかの嘘が含まれていたのか。ペトルスもペトルスなりに、真佳らを事件から遠ざけようと苦心してはいたのだろう。けれど今回、遺体の第一発見者となったことでその腐心も徒労に終わった。ツイてないのだなあ、ペトルスもマクシミリアヌスも。

「あの銀の鎚、確かに君らもアートゥラという少女も触らなかったのだな?」
「確かですよ。遺体発見から治安部隊員がやってくるまでの間の内、ぼくらの中でハンマーの存在に気がついていたのはどうやらサクラさんだけのようでしたし」

 さくらが無言で首を振ってそれを静かに肯定した。耳の後ろ辺りをがりがりと掻きながら一時マクシミリアヌスが沈思して、「分かった」どうやらこの件は無事着地点に辿り着いたらしい。真佳の紅茶もすっかり空になってしまった。おかわりは流石にもらえないだろうな。いりますかと言われても困るけど。胃の中は既にたぷたぷだ。

「では別の話題に入るとしよう――俺としては鎚よりもこちらを優先させたかったのだが」

 とマクシミリアヌスは前置きしてから、机の上に身を乗り出し真剣な面持ちで口を開いた。

「――現場で君らが話していた、さっきの老女は何者だ?」

 きょとんとした顔を三人揃って見合わせた。
 さっきの老女って、ミラーニ女史? 事情聴取が始まる前に顔を合わせたところでは、特別にマクシミリアヌスが彼女を意識している素振りなんか見られなかったものだったけど。どちらかというとただの通行人扱いで……真佳らが女史との関係を否定してからも、すぐに分かれたはずである。

「何って、新聞記者……」
「あっ」

 戸惑いながら答えかけた真佳の台詞をさくらの一音が遮った。
 微妙に頬を引き攣らせて、伺うように。

「……若しかして、“シルバー・ハンマー”……?」
「シルバー……? ああ、いや、マルテッロ・ダルジェントだ。そちらの言葉ではそう呼ぶのだったな」

 頷きながら言うマクシミリアヌスに、流石の真佳も察しがついた。

「……新聞に出てたの? その、マルテ……」
「マルテッロ・ダンジェント。成る程……流石に仕事が早いですね」

 真佳の言葉を引き継いだのはペトルスだった。個別での事情聴取が数十分、真佳とさくら、ペトルスを集めてからのマクシミリアヌスによる事情聴取が更に数十分……これだけあれば号外を書く余裕はあるとは言え、それが既に世の中に出回っているとは思わなかった。マクシミリアヌスが頷きながら「やはり君たちは知っているのだな」と駄目を押す。
 さくらが低く吐息しながら頭を抱えた。

「……ごめんなさい。それ教えたの私だわ」
「なんと。マルテッロ・ダンジェントを?」
「いや、シルバー・ハンマーの方だけど……」

 マクシミリアヌスの言葉どちらかというとこの国の言葉を知っていたのかみたいな言い方だったので、さくらも微妙にたじろいでしまったようだった。机の上に身を乗り出して真佳の方も口を開く。

「私が聞き出したんだよ。さくらがぽつっと言ってたのが気になって。で、それをミラーニさんに聞かれてしまったものだから……」
「女史はサクラさんやマナカさんの正体を突き止めたがるような素振りをしきりに行っていたでしょう。そこから意識を背けさせるために、ミラーニ女史の知りたがっている鎚の話を持ち出すのは、ある意味当然のことですよ。一種の脅しです。本当に全く油断のならない……」

 マクシミリアヌスが片眉を上げて、不可解なものでも見やるような顔をした。
 ……ほんの一瞬、今度は何事が持ち出されるのかと身構えはしたものの、よくよく考えるとマクシミリアヌスの反応は尤もだ。これじゃあ話の流れが全く相手に伝わりゃしない。
「あー」とか何とか唸りながら、大男は森を思わせる緑目をあっちへやった。

「まあ、つまりその新聞記者のご老女に鎚の話をしたのは君たちだということでいいんだな? 彼女自身は銀の鎚を見ていないと?」
「……? 多分見てない、と思うけど……」

 真佳らがマクシミリアヌスに呼ばれた後、すぐ離れてしまったので後のことは分からないが、それ以前はまだ見ていない、と思う。話をしている間中、銀の鎚など初耳だという顔をしていたし……。尤もミラーニ女史のことだから、それも演技である可能性はあるけれど。
 マクシミリアヌスが頷いた。

「いや、それが分かれば良かったのだ。変に怯えさせてすまなかったな。あのご老女がくだんの号外を配布しているのを見かけたものでな。我々が現場に着いた後、現場状況を描き写してからすぐにあの鎚は持って帰らせたし、さっきのペトルスの話を聞く限り鎚の件にはどうやらサクラしか気付いていない。何故、かのご老女が鎚の件を知っていたのか、単純に不思議でならなかったのだ」
「……でも、それじゃあ尚更内密にしといた方が良かったんじゃない?」

 それでも申し訳無さそうにさくらが言った。責任感が強い子だなあと、キッカケを作った張本人である真佳は空になってティーカップをぼんやりと見つめながら思ってみたり。

「いや」

 とマクシミリアヌスは首を振る。

「どの道犯人の魔術痕は分かっておるのだから、凶器だけ開示されたところで問題はあるまいよ。人によって指紋のように魔力が異なる、という話は以前にしたことがあったと思うが、比較出来る魔力がありさえすれば、模倣犯かそうでないかはすぐに割れるのだ」
「あれ、じゃあ犯人もすぐ分かるのでは」

 尋ねてみたらばマクシミリアヌスは渋い顔で首を掻いた。

「比較できる魔力があれば、と言っただろう。犯人の見当もついておらんのだから調べようにも調べられんよ。まさかこの町全員の魔力を調べられるはずもあるまいし。せめて前科があれば……」
「前科があれば状況も違うの?」と食いついたのはさくらである。
「前科者は名前と指紋、それに魔力の特徴なんかを教会に登録されますからね。もしも“シルバー・ハンマー”が前科者であったのなら、犯人の特定は容易だったでしょう」

 そう言って息を吹きかけてから、ペトルスはティーカップに残った紅茶を一口すすった。マクシミリアヌスが同意するように頷いた。
 ――“シルバー・ハンマー”、という言葉にぴくりと瞼を動かした。
 故意にか無意識にか、ペトルスはそれを連続殺人犯の代名詞として使用した。大々的に号外で発表されたのだ。恐らくこれから、この町では“マルテッロ・ダンジェント”こそが、その名の通り銀の鎚を凶器に持った連続殺人犯を示す言葉になるのだろう。元の世界由来の言葉が異世界に浸透していく様を実際に目の当たりにするというのは、何というか言い知れぬむず痒さのようなものがある。

「さてと。今日君たちに聞きたかった話はこれで以上だな。また何か思い出したことがあったなら、逐一俺か教会の人間に報告して欲しい。事件に進展があれば改めて呼び出すことになるかもしれんが、その時はまたよろしく頼むよ」

 酷く事務的なことを言って、マクシミリアヌスは口を閉じた。
 これから“シルバー・ハンマー事件”捜査陣で大々的な会議でも行われるのだろうか。花崗岩にも似た顔面がいつになく厳しい表情を描いている。今回で被害者は十六人。緊張状態に陥るのも当たり前のことに思われた。
 分かった、頑張って、というようなことをそれぞれ告げて、取調室の戸口をくぐった。



十六件目の発見者

 TOP 

inserted by FC2 system