「十五人全員、連行されたよ」

 宿舎に戻るなりマクシミリアヌスがそう告げた。扉が閉まる乾いた音。マクシミリアヌスの全身は未だ雨に濡れたままだったが、本人は疲れた様子も見せず治安部隊員としての顔を崩さなかった。

「ペトルスの言う通りあれは確かに密輸業者だった。無害なものに紛れ込ませ無害な輸入業者を繕い、本来ならばこのスカッリア国に入れてはならんものを持って来ようと目論んでいたのだ。密輸品は全て押収されたよ」

 真佳が近くにあった下座の椅子を動かし薦めたので、話しながらマクシミリアヌスはそこに素直に腰を落ちつけた。目線を彷徨わせていたのは多分、この濡れた体で座るべきか否かを考えていたからと思うのだが……まあ勧められたら座らないわけにもいくまい。真佳の方はきっと、椅子を探しているようだったので薦めたというだけの行動だろう。マクシミリアヌスが濡れているという情報は多分彼女の中で忘れ去られている。
 真佳とペトルスの簡単な(本当に簡単な。双方ともにびしょ濡れであったので、放っておいたら風邪を引くだろう疲れているだろうから休ませてやるべきだとマクシミリアヌスが強弁したのだ)事情聴取を終えた後、三人で宿舎の食堂でマクシミリアヌスの帰りをこれまで待っていたのだった。管轄が違うとは言えマクシミリアヌスは治安部隊員だ。事件に携わっている公人という特権を利用して、色々探ってきたようだった。

「犯人の人、外国の人じゃなかったのか」

 真佳がぽつりと呟いた。

「ああ、スカッリア国民だよ――」机をトントンと指で叩きながら、「教会の宿舎にいたから外人だと思ったのだろう? いや、無害な輸入品というのが、教会で使われるワインでな。それで優遇されていたのだが――」と、そこでマクシミリアヌスは頭を掻いた。「まさかそこを利用されるとは」

 ワイン――。確かあちらの国、デルデモンドのワインは上質であるという話だっけか。それを教会に売り渡すということで、宿泊を特別に許可されていたのだろう。上質なワインならば値段もそれなりになるだろうし、そんなものを扱う商売相手を教会が邪険に出来るはずもない。

「有害な方の輸入品は何だったの?」

 頬杖をついて口を開いた。
 髪から滴る雫を気にしていたマクシミリアヌスが顔を上げた。

「おお、まあ有り体に言えば、クスリだな」
「クスリ……」
「いわゆる麻薬と言うやつだ。そちらの世界にもあるのだろう? 薬物依存に陥りやすく、その依存症が深刻になりやすい悪魔のクスリだ……。こちらの世界でも、そいつの所持・栽培・持ち込み等は取り締まられることになっている。一般人の持ち込みは徹底して禁止しているため数は少ないが、それでもクスリが原因で事件が起きた例はなくはないからな」

 肩を竦めた。成る程、クスリ。その危険性が広まっているのなら、確かに取り締まられても可笑しくない品である。日本で麻薬の所持・栽培等の取り締まりが行われたのは勿論五百年前より未来のことであるが、その件に関してはもう疑問に思う必要も無かろう。
 駆けつけたときのことを思い出す。
 幾つかの木箱が台車に詰め込まれているのを見た。あれをどこかへ持ち運びこむか、売るつもりだったのか。それが真佳とペトルスのおかげでおじゃんになってしまったわけだ。

「ぼくとしては」

 と、不意に左隣にいたペトルスが声を上げた。

「あの集団の頭である、男の眷属が気になります。雷でありながら真水でない水に触れても感電を引き起こさない、あれは――」
「静電気だよ」

 ルーナに淹れてもらったココアの入ったカップを傾けながら、真佳がいとも簡単に答えを出した。
「……は?」ペトルスが呆然とした声を出す。ペトルスと反対隣に座る真佳に目をやった。

「静電気だったの?」
「静電気だったの」

 頷く。ココアの甘い香りが鼻孔をくすぐった。
 今、結果的に密輸業者を泊めていたことになる宿舎のシスターらは、スッドマーレの治安部隊員に簡単な質問を受けている頃合いだろう。マクシミリアヌスが戻ってくる随分前にスッドマーレ教会支部に行ってくるとの言とココアを残して、ルーナはこの宿舎から消えていた。
 サクラの分と淹れられたコップの縁を指の腹でなぞりながら、さくらはふむと吐息する。頭とやらの力の使い方を実際に見てはいないけれど、確かに静電気であるならば雷の能力者と誤解させることも可能だったろう。

「その人、雷を落としてきたの?」

 ペトルスが深く頷いた。

「落としました。実際マナカさんの腕と足には火傷の後があったはずです」

 無意識に視線を左にやっていた。ココアのついでにルーナが施していった手当の痕跡が彼女の四肢についている。軽い火傷で済んだから良かったものの、もしもその雷が直撃していたらどうなっていたことか。

「雷って静電気でしょ?」

 上唇に付着したココアを舐めとりながら真佳が言った。相変わらず初対面の人間には分かりにくい言い方をする。

「雷を引き起こすのは静電気だって言いたいの?」
「そーそー。なんか理科か何かの授業で習った気がする」

 それをきちんと覚えていられたとは奇跡的だなとは思ったが、敢えて口には出さなかった。
 雷を落としたことと純粋でない水でも感電しなかったこと――。それら二つを合わせて考えれば、確かに静電気が属性の正体だったのだろう。正確には静電気を感じるあの一瞬の衝撃も、感電の一部ではあるのだが……そこは一応飛ばしておいて。
 俗に言われる静電気とはそもそも、プラスイオンとマイナスイオンがバランスを保とうとすることで発生する放電のことを言う。プラスとマイナスが保たれている通常の状態で摩擦を受けると安定感の弱いマイナスイオンが剥がれ帯電し、プラスとマイナスのバランスが崩れる。これが始まり。この状態のまま電気を通しやすいものに触れることで、プラスとマイナスの中和のため吸収されたマイナスイオンが瞬間的に体に流れ込み感電、つまり静電気が起こるのだ。一応高圧ではあるのだが、刹那的なものであるため人体に特に影響は無い。
 静電気は湿度に弱く、大体湿度五十パーセント以上になると自然放電できる環境になるようだ。つまりあの状況、静電気で作られた雷は別として、術者本来の魔術と眷属の発する静電気は全て自然放電が成されていたと考えられる。流石に濡れた手で静電気そのものに触れても静電気を感じない、というわけではないが(水に吸収されるより早く恐らく人体に刺激を残す)間接的な感電は静電気では起きなかっただろう。

「……つまり」

 背もたれに深く腰を落ち着けて、椅子の前足浮かせふわふわさせるというちょっと行儀の悪いことをやりながら、ペトルスが無念そうにため息を吐いた。

「まんまと騙されたということですね」
「んー、や、でもまあ、眷属見たときにペトルスが雷と勘違いしてくれたおかげで、あの後の雷撃を浴びなくて良かったわけなので」
「……え?」
「眷属見て雷だって思ったんでしょ? あの後すぐに魔術式を落とすよーな水音がしたもん」

 ココアを啜りながら、真佳はさくらの背後に視軸の線を走らせた。前足を浮かせて若干後方に傾いたペトルスが、その視線を受け取って微妙に目を瞠っているのが目に入った。
 ……カタンという音がした。
 浮かせていた椅子の前足を、ペトルスがあるべき場所に戻した音だ。

「……、参ったな……。よくあの雨音の中聞き取ったものです」
「たまたまだよ」

 軽く流してココアの残りを飲み終えて、真佳はまた上機嫌に上唇をちろりと舐めた。甘いものの出現が嬉しいらしい。言えば勿論出してくれるのだが、それをわざわざ欲しいと言い出さないのがこいつだ。

「……まあ、謎が一つ解決したところでだな」

 と、改まった様子で発言したのはマクシミリアヌスだった。こちらから不自然なくらいに視線を外して、言葉が喉に絡まったみたいに空咳して何やらもにょもにょと唇の先を動かしている。……そういえば途中からリアクションらしいリアクションを一つも聞いていなかった。マクシミリアヌスならこういうとき、煩いくらい反応しそうなものなのに……。
 微妙に嫌な予感を感じた矢先、

「すまん!」

 ぱちんと手のひらを顔面で合わせて猛烈な勢いで謝ってきた。
 ……思わずどう反応すべきか分からなくて沈黙した。

「……当分の間ここから出られんようになった」

 合わせた手の向こうから伺うように上目遣いで。……は? という声が漏れたような気がする。言われた言葉の意味を瞬時に理解出来なかった。代わりにペトルスが「どういうことです?」と聞きに行かなければ、もう暫く沈黙を守っていたような気がする。

「それがな……」

 苦虫を噛み潰したようにマクシミリアヌスが言うには。

「今回の事件、マナカもペトルスも随分深く関わってしまっただろう。発見したのも君たちだし、追っ払ったのも君たちと……俺だ。このまま離れられてしまっては、必要なときに必要な証言が得られないから困ると言われてしまった……」

 後頭部を掻き掻き、まことに遺憾であるとでも言いたげな表情で。……顔を伏せ、米噛みを強く揉みほぐした。そういうことか……。もっと早く気付いて然るべきだった。こうなった以上、拘束されることは仕方のないことなのだと。

「いや、俺も主張したんだ、相手は異世界人であり賓客であり、急いでいるので例外的に扱うべきだと! だが聞き入れて貰えんで……全く頭の堅い連中集まっておるものよ」
「……いや、それは相手の方が正しいでしょう」ちくちく痛む米噛みに人差し指を押し付けながら言い切った。
「しかし……!」

 ため息。
 マクシミリアヌスがさくらに気を遣ってくれていることは十分すぎるほど分かっているし本当にありがたいと思うのだが、こういった状況に陥ったとき無理を押し通そうとするからいけない。仮にも治安部隊員であるならば、さくらや真佳のことよりも自国民のことを第一に考えるべきだ。

「……真佳」

 マクシミリアヌスに向かう視線の直線上にある、お団子頭に向かって声を投げた。成り行きを見守っていた真佳が、きょとんとした目をこちらに向けた(仕方のないこととは言え真佳のせいでもあるんだぞと言いたくなったのを何とか堪えた)。

「アンタ、今ここに“異世界案内人”が現れて、私が何も解決しないまま元の世界に帰るって言ったら一緒に帰る?」
「……?」

 言った途端、眉間に小さなシワが刻まれたのが目に見えた。不審げにこちらの目を見返して、それが軽口から出た問いではないと理解したのだろう途端、

「帰らないよね?」

 ぞくっとした。
 赤い瞳がじっとこちらを凝視する。不透明な赤とは違う、天井から下がる光を不可思議に反射させる宝石のように真っ赤な深緋。動物に流れる血潮みたいに苛烈で熾烈で、一瞬全てが赤く染まってみえるくらいに強烈な、
 赤。
 ……あれを本気で言ったのではないにしろ、その言葉は結構深刻に心にキた。不満を抱いているのは明白だった。さくらがずっと欲していたものは、それほど単純に手放せるものだったのかと。それを許してあげるほど日和った人間だと思っているのかと。
 ……深く、深く吐息した。

「帰るわけがないでしょう」

 返した言葉は微妙に掠れて届いた気がした。
 真佳がにっこり微笑んだ。

「うん。私も、全部終わるまでは帰らない」

 ……ため息。これじゃあ本当に、手がかりを掴んで謎を解明するまで帰らせてもらえそうにない。勿論このまま帰る気はさくらにも毛頭無かったけれど。
 マクシミリアヌスに視線を戻した。

「と、いうわけだから」
「……は?」

 今度はマクシミリアヌスの方が、頓狂な声を出す番だった。
 ……微かに微笑う。目的は別にあったけれど、結果的に真佳の真意を真佳の口から聞けたことがさくらの心を軽くした。

「聞いた通り、どうせそれまで帰るつもりは無いのだから別にいいのよ。何年かかっても、その日が来るまで私たちはずっとここにいる。時間はたっぷりあるのだし、これくらいの滞在何ともないでしょう?」
「し、しかし……それなら尚の事早く手がかりを得たいのでは?」
「決めたんだから別にいーの」

 椅子の背もたれに深く背中を預けて言った。発した言葉に嘘は無い。真佳が良いと言うのだから、さくらに無期限の異世界旅行に異議を申し立てる理由は無かった。全てはさくらの我が儘であるのだから。
 くつりと後ろで声がした。
 それまで視線の反対側にあったその場所で、ペトルスが喉の奥でくつりくつりと笑っていた。

「……何か?」

 不審を顕に尋ねると、ペトルスは「いや」と笑いながら呟いた後、

「面白い人たちがやって来たものだなあと思っただけですよ」

 そう言ってまた喉のところでくすくす微笑う。気にして欲しいのか気にして欲しくないのかイマイチよく分からない。これは果たして褒められているのか?
 ……正面で、マクシミリアヌスが毒気を抜かれたようなため息を吐いたのが耳に届いた。巡らせていた首を元に戻してマクシミリアヌスの方に固定する。

「分かった。君たちがそう申してくれるというのなら、お言葉に甘えることとしよう――。だが、出来うる限りの手は尽くすぞ! 少しでも早く君たちをこの街から開放してみせる!」

 拳を握りしめて力説。
 なんというか、それじゃあまるで……

「スッドマーレが悪の街みたいに見える……」

 真佳がさくらの心の声を代弁して、それを聞いたペトルスが一層高く笑声を起こした。



エレットロスターティコの幕引き

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