「非常に申し訳ないが、昨日のうちにはあちらからの連絡は無かった」とマクシミリアヌスは言った。「今回は転移魔術式は使えず、流石の長旅になるからな。朝のうちに出かけてようやっと夕暮れに着くだろうという具合で……ともあれそういう事情のため、もう一日ここで過ごすことになりそうだ。尤も――」視線を窓の外っ側に流してから、「風が破綻しておるから、もう暫くしたら天気が崩れる恐れがあるし、どの道先に進めそうには無かろうがな……」



異世界人X



 スカッリア国では、春の天気は変わりやすい傾向にあるらしい。
 特にスッドマーレのような港街だとそれが顕著に出るようで、朝方の起き抜けにマクシミリアヌスが言った通り、それまで雲一つ無い快晴だったのがお昼頃からいきなり雨が降った。窓の外を見やると、空はのっぺりした灰色をしていた。

「マクシミリアヌス、よく分かったわね……」

 若干呆れ気味に言うと、

「なぁに、風の状態で大体の天気を予想することは容易いよ。この国の者のほとんどがそれを出来る」

 自信満々に言い切られた。腕まくりしたワイシャツにベスト、ベストと同色のスラックスという格好で、言いながら何をやってるかと思ったら、部屋から引っ張りだしてきたらしいダイヤル式電話機の円盤の埃を手持ち無沙汰げに払っていた。払っているというよりは段々擦り取っているといった感じで、暫くしたら爪楊枝でも持ちだして全部の溝を掃除し出しそうな雰囲気がある。多分首都からの連絡を待っているんだと思うが、そこまで真剣に待ってくれなくても……。まあそこがマクシミリアヌスの良いところなんだけど。
 食堂に置かれた大テーブルの一方の長辺、中央に陣取るマクシミリアヌスからぐるりと視線を巡らせて、さくらは同じテーブルの上座に座る真佳を見た。椅子の上で膝を抱えて、雨でよりひどくなった波打つくせ毛をいじっている。いじっているというか何とか抑えようと奮闘しているといった体だが、ただ手櫛でどうにかしようとしているだけなのでそれほど役には立っていない。
 溜息を吐いて戸口からそっちへ歩み寄った。

「櫛無いの?」

 不躾に尋ねると一瞬真佳はきょとんとした顔でこっちを見上げた。

「……、あー、無いねぇ。部屋には多分あるよ」
「取ってきなさいよ……」
「面倒くさい」

 だろうと思った。
 うねるサイドヘアーを無意味にいじる真佳の後ろに立って、濃い黒髪を指で梳いた。「ひゃあ」真佳が驚いたような声をあげて微妙に椅子から飛び上がった。

「櫛は無いけどヘアゴムはあるから、とりあえずくくる」
「えー……痛くしないでね」
「しないときっちりくくれない」
「えー……」

 膝を抱えたまま微妙に項垂れ始めたのを見計らって、……少し考えてからお団子を作ることにした。確かヘアゴムだけで作る方法があったはず。ポニーテールを作って毛先の辺りを編んでいく。
 編みながら、ふと思いついて真佳に聞いた。

「ペトルスは?」
「? さあ。どっか行ってるんじゃないの?」
「この雨の中?」

 窓の外に目線を流した。昼頃から降りだした雨は段々と雨脚を強めてぼたぼたと音を立てながら、一層強く窓ガラスを叩いている。或いは外出先で雨に降られてそこで立ち往生しているのだろうか? いや、雨が降りだした昼食時には共にいた。小雨のうちに出かけてその後思わず強くなった雨脚に立ち往生……というのが正確か。

「んー、や、部屋覗いたわけじゃないから、若しかしたらフツーに部屋にいるのかも」

 首を仰け反らせて言ってくるので思わず編んだ髪を離しそうになった。ぺちんと額を叩いて(「あいたっ」という声がした)前を向かせて、残りの髪を編んでいく。

「ペトルスに用事?」
「いや、別に。見かけないなと思って」
「ここ広いからねぇ。どっかふらふらしてるのかもよ」

 三角座りをしたまま、伸ばした両手をふらふらと左右に躍らせる真佳を思わず無言で見下ろした。
 昨日の夜、ペトルスと話したことを思い返す。ちらりと視線をマクシミリアヌスの方へ向けた。ダイヤル式の電話が普及し出したのは一体いつのことだったっけ。少なくとも、五百年前より後であることは確実だ。

「……昨日、ペトルスとも話したんだけど」
「……?」

 仰け反らないように気をつけながら、真佳がきょとんとした上目遣いをこっちへ向けた。

「やっぱり異世界から受け継がれてるらしい技術を、少なくとも私たちのいた時代から五百年前に存在していた人間が伝授出来るはずが無いと思う」
「……やっぱり?」

 意外にも真佳はそこで理解を示した。今まで検証してきた品々が誕生した正確な年代を、きっと彼女は把握していないだろうと思っていた。まあ、把握していなくても少し考えれば分かって然るべき問題のはずなのだけど。自分たちの時代から丁度五百年前が、一体どういった時代に当たるのか。

「やー、ちょっと可笑しいなとは思っていた……。ってことは、やっぱり時間の流れが違うってことになるのかなあ?」
「……どうかしらね。確かめようの無いことだけど、もしそっちの説が正しければ一刻も早く帰る必要が出てくるでしょうね」
「こっちの世界の方が時間の流れが早いから?」

 頷いた。もしもあちらに帰る際、ここで過ごしたのと同じ時間だけをすっ飛ばされてあれより未来に送り込まれたら二人揃ってとんでもないことになる。ノンフィクション版の浦島太郎だ。
「でも」と真佳が前を向きながら、目線だけをこっちにやってにやりとした。

「さくらには別の説もあるよーだね?」

 二つ目のヘアゴムで編んだ部分を結いかけた状態で、思わずさくらは静止した。
 ……手を動かす。驚くほどのことではなかった。そう取られても可笑しくない言い方をしたのだから、バレてしまって当然だ。

「“異世界案内人”がいたでしょう」

 完全には結わないでヘアゴムを回す手を止めた。

「あのおっちゃん?」
「そう。リック・ヴァードとか言った奴。あの人はどの時代から来たと思う?」
「……?」

 よく分かっていないみたいだった。言い方が悪かっただろうかと考える。考えながら、ポニーテールのひょっこり生えたその箇所に、毛先だけ編んで一房になったそいつをくるりくるりと巻きつけた。
 ――編んでないと分かるや否や真佳が首を仰け反らせてきたので、自然と赤目と目が合った。サイドヘアーの方には手を付けなかったため二房の黒髪だけが彼女の肩に添ってだらりと下に垂れている。こちらも雨の影響で微妙にうねってはいるものの、量が少ないのでそれほど気になるものでもない。

「何?」

 何か物言いたげだったので、一応そうやって聞いてみた。

「……んや、びみょーなところだなあと思って……。服的には絶対五百年前とかゆーのではないだろーし、未来かもしれないけど、未来の服装とか分かんないし……。あ、でも、“異世界案内人”ってゆーのが未来の叡智の結晶なのだとしたら、それだと確実に未来人ってことになるよね? ……ん? 待って? そもそも同じ世界から来たのは確定?」

 ……素直に許容してそっちの方向に話を展開させたか……とちょっと思った。相手が真佳なのだからそうなって当然と見るべきだった。

「そうじゃなくて」

 一度真佳の長広舌を断ち切って、巻きつけ終わった髪を残して置いたヘアゴムでぱちんと留めた。簡単な上に、これだと多少無茶をしない限りそう簡単には崩れない。終わりの意図を込めながら彼女の両肩に手を置いて、

「“異世界案内人”はどの世界のどの時代にも自在に移動出来るんじゃないか、ってことよ」
「自在に……?」
「そ。例えば私たちの世界の現代から、この世界の五百年前に、って具合にね」
「あっ……」

 見上げた真佳がぽかんと大口を開けたので、それで彼女の背後から身を引いた。テーブルの縁にお尻を預けて肩を竦める。

「これだと五百年前に来た異世界人を“異世界案内人”が五百年前の日本には無かったはずのものを知っていたことの説明がつく。若しかしたら、その異世界人を連れ戻したのも“異世界案内人”なのかも」
「をを……。じゃあその異世界人Xも、事故でここに来たんだね」
「……かもしれないし違うかもしれない。案内人に頼んでこちらに来て、後で一緒に帰ったのかも」
「Xが“異世界案内人”だったって可能性は?」
「どうかな……。それにしてはあまりに知識が偏りすぎているとは思うんだけど」

 そこで真佳が首を傾げたので、相変わらずズボンの右ウエストにねじ込んだ拳銃をなぞりながら昨日ペトルスと話した事実を口にした。この世界では拳銃はこれしかない。見慣れたS&Wやベレッタをモデルにしたものは、少なくともペトルスは見たことがないみたいだと。

「……銃の知識が無かった人?」
「それでなんで十四年式持ってくんのよ……」

 一番それで矛盾が無いのは、十四年式を扱ったことのある人間がここにたどり着いていた、という説になるんだろうか。確かこの十四年式拳銃は、第二次世界大戦が終わるまで主力拳銃として扱われていたはずだ。Xが最も機構に精通していて、手軽に教示出来た銃がそれしか無かったのかもしれない……。

「む」

 と、野太い男の声がした。振り返ってみるとそれまで電話に夢中になっていたマクシミリアヌスが、緑の双眸で真っ直ぐ天井を見上げているところだった。ざっ、と、いつの間にか一層酷くなった雨が風のように窓を叩いて流され消える。
 ……ペトルスは?
 さっき思ったことと同じことを今思った。マクシミリアヌスがウサギのように鼻をひくつかせて、天井を見上げたまま怪訝そうにその空間を睨め付ける――

「……眷属の気配がする」

 真っ先に椅子から飛び降りたのは真佳だった。抱えられていた膝が伸ばされる。結わずにおいたサイドヘアーが微かに揺れた。

「どこ?」

 一瞬マクシミリアヌスが真佳の方を一瞥する。「……ここだ。ここだが、どうやら外に――」「あれ」視線を振り向ける。外の大扉に近い方の戸口から、ルーナがきょとんとした顔でそこにいた。

「なんだ、君たちはここにいたのだね」
「“君たちは”?」聞きとがめて追求すると、ルーナは屈託なく、「ああ」と言って微笑った。
「前にも話しただろう? 君たちの他にも客人が泊まっているんだ。さっき入れ違いになったんだが、こんな雨の中慌てて出て行ったものだから、外で何事か起こったのだろうと思っていた。君たちがここにいて少し安心したよ――」

 そう言いながら食材が詰まっているらしい雨にまみれた肩掛け鞄をテーブルの上にでんと置いて、

「……ペトルスはどうしたね?」
「探してきます!!」

 ルーナが言い終わるか終わらないかのうちに真佳がそう叫んだときには、当の本人は既に部屋の中にはいなかった。

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