キィ、と扉が後ろで開く音がした。ひび割れた音。かなり昔に造られたのだろうことは何となく察しがついていたので、さくらは然程それを疑問にも思わなかった。

「おお、サクラさん」

 聞き慣れた声だった。……てっきり敬虔な信仰者だと思っていた。腰を捻って振り返った先にいたペトルスの薄桃色の髪を認めて「……こんばんは」適当な挨拶を返す。天井から下がったたった数個の吊り下げランプの明かりだけでは、その髪の色はほとんど白髪かブロンドに近い。

「明かりがついていたので熱心な信仰者がいるのかと思いましたよ」それはこっちの台詞だと突っ込もうとしたときには、彼はてくてくとこっちに歩み寄りながら「どうされました?」

 ……屈託ない笑顔であっさり顔を覗きこまれたので思わずさくらは身を引いた。十四歳の青年はただそこで突っ立ってにこにこしているだけで、何かに疑問を抱いた風も無い。……椅子の背もたれに右腕を預けなおした。

「……ちょっとね」

 当たり障りの無い言を口にしてから、
 ……少し考えて、更に言葉を付け加えた。

「考えなきゃいけないことがあって。考え事」
「教会で? まあ神に祈りを捧げるならこれほど適した場所はありませんが」

 などと軽い口調で言いながら、わざわざ彼は反対側に回りこんでさくらの隣の座席に腰を下ろすのだった。一つの椅子で三人が座れる長椅子のためそれなりに距離はあるものの、この広い敷地内では十分近い。
 背もたれに引っ掛けた腕を仕方なしに体の横へ戻しながら、さくらは前方を振り向いた。
 マクシミリアヌスの身長くらいはありそうなソウイル教会のシンボル・マークが、祭壇の上に吊るされている――。黄金色のシンボルだった。ランプに灯った炎の明かりに照らされたそれは神々しいというよりは生々しい。ソウイル神を象っているのだろう銅像は、シンボル・マークの菱型部分にお尻を乗っける格好で、おくるみに包まれてやっぱり上から吊るされながら眠るようにその小さな両目を閉じていた。祭壇部分は他より一段だけ床が高く、左端にはオルガンが、右端には典礼のその日の進行予定を記すための掲示板が立てかけられている。さくらが座した長椅子は祭壇の真正面に整列しているものの一つで、見渡してみれば合計三列を成したそれらが祭壇部から扇状に広がっていることが分かるだろう。さくらは首都の教会内部を見たことがないが、しかしこの国の教会はこれが一般的な構成なのではないかと何となく感じられるほどには実に馴染んだ光景だった。

「神様に何を祈るっていうのよ……。答えを提示してくださいって?」

 ずっと先に吊るされた教会のシンボルを目を細めて見据えながら皮肉げに言いやって肩を竦めた。そうやって全てを神に任せられるほどには神を信じてはいなかったし、多分これからも神に頼ることは無いだろうという確信があった。

「“祈り信じよ、さらば報われん”」

 右の中指で黒縁の眼鏡を押し上げながら、ペトルスが何でもない風に呟いた。穹窿を描いた天井に飛ばされた彼の言の葉は、不思議な軌跡を辿ってさくらの足元に落ちてくる。

「よくある祈り文句ですよ。聖書に出てくる始めの聖人が、信仰者たちに説いた言葉です。さしずめぼくがプリームムといったところでしょうか。尤も、始めの聖人はプリームムではなくフルーメンではないかという説も根強く残っているわけですが……」
「……アンタは熱心な信奉者なの?」

 胡乱に問うと、「いえ別に」との身も蓋もない返事が飛んできた。息を吐いて前を向く。少し安心した。信仰者が相手ならもっと言葉を選ばなければならなかったから。

「ぼくはただ、神と対話するのも一つの手だとお話したかっただけですよ……」眼鏡のブリッジを薬指で押し上げて、彼は視軸を持ち上げてソウイル神の像に焦点を合わせたらしかった――「ここはそうして過ごすのに適した場所です」
「……」

 そういった告白に考える間もなく無言で返してしまってから、「……神とねぇ……」溜めた息を吐いたついでに呟いた。肩を竦めると同時に背もたれの(心ばかりの)クッションに体を沈める。冷たい。こんな夜中にこんなところで長いことじっとしている人間が他にいるとも考えられないので、冷えているのは当たり前か。その割に誰もが入れるよう鍵が開いたままになっていたのは、教会という場所柄故だろう。
 隣に座ったペトルスの視線が、ちらりとこちらを向いたような気がした。多分、すぐ元に戻しただろうと思うけど。それで彼は肩を竦めて笑うように吐息を漏らして、

「――まさか、夜風を避けるためだけにここに入ったのですか?」
「……」

 ……また沈黙で返してしまった。
 膝に両腕を組み前かがみになりつつ左隣に視線をやって、

「夜風を避けるためだけにここに入ったのよ」

 微妙に皮肉っぽく告げたらば、ペトルスは一瞬眼鏡の奥できょとんとした後何故だか困ったように微苦笑した。

「サクラさんはどうやらぼく以上に不信心だ」
「日本で生まれ育ちましたから」

 というのは微妙に嘘が混じっているけれど、と考えて内心でこっそり舌を出す。両親が死んだ後数年はずっとアメリカにいる叔母のところで過ごしてきた。その間日本に長期間戻ったことは無い。日本に戻ってきたのは、今からつい四年前のことである。……という細かい事情は、まあペトルスらに話す必要も無いだろうと今まで敢えて口にしたことは無かった。

「宿で考え事も落ち着かないし、他に目ぼしい場所が無かったのよ。駄目なのだったら出るけど?」
「いえ、駄目というわけではなく……」

 また黒縁眼鏡のブリッジを押し上げて、少しだけ唇をしめしてからひっそりと彼は口を開いた。

「……そういう理由で教会内部に入る度量のある人間はそうそういないだろうと言うことですよ……。無論誰も咎め立てはしないでしょうが、」

 そこで一旦言葉を切って、

「……《神》という存在に“威圧”されて、そうして実行に移せるものはいないでしょう」

 普段のそれよりも低めの声でそう結んだ。それは夜の冷たい空気と一緒くたになって教会の冷えた床にじっとり沈み停滞する。まるでその言葉そのものが神への畏敬を表しているようだとさくらは思った。
 溜息を吐いて、

「ペトルス」

 藪から棒に名を呼びざま、ズボンの右ウェストに乱雑に引っ掛けていたそいつを引っ張りだして突きつけた。
 ――拳銃。
 見開いた濃緑の双眸に銃口を向けたまま一時動きを止めてから、
「これ」銃身の方を持ち手に変えて、代わりにグリップを目の前の青年に向けて差し出してみる。

「知ってる?」
「……拳銃ですね」

 生唾を飲み込んだような時間を置いてからペトルスが差し出したそれを受け取った。グリップに魔術式の描かれたこちらの世界特有のもので、本来弾倉がある箇所に魔力を込めて引き金を引くと魔力の塊がはじき出される仕組みになっている。第一級魔力保持者(平たく言うと強力な魔力を有する戦闘向きの魔術師)に対抗するための、第二級魔力保持者(第一級に対して、圧倒的に魔力の弱い魔術師を指す。大部分の人はこっち)専用の武器である。魔術式に魔力を供給しなければ武器として機能せず、元いた世界の拳銃のように暴発する危険も無いので安全装置なんてものは飾りとしてあるだけに過ぎない。
 ペトルスはそいつをためつすがめつ眺めながら、眼鏡の“つる”の部分を持ち上げた。

「これが何か?」
「拳銃ってこと以外に何か知ってる? 拳銃の種類とか」
「……?」

 よく分かっていないような顔をされたので少し考えてから、「……自動式拳銃とか回転式拳銃とか」「……?」やっぱり分かっていないような顔をされた。

「何か種類があるんですか?」
「……そう……こっちの世界では、十四年式拳銃って呼ばれてる拳銃なんだけど」

 正確にはそれをモデルにしたんだろう銃だが、それを今言っても混乱させるだけだろうと思うので言わないでおく。逆に差し出されたそいつを受け取って、さくらもちょっとだけその拳銃を見下ろした――科学的に造られた拳銃に魔術式という図は何だかひどくミスマッチで、やっぱり何度見てもどこか滑稽な感じに見える。けれど実際に、これで殺された人はいた。

「他にも種類が?」
「まあね……。アンタ、これしか拳銃の種類を知らないのね?」

 念を押して尋ねると、ペトルスはきょとんとした顔のまま確かに頷いてみせるのだった。
 ……顎に指を添えて考える。十四年式拳銃があの歴史に登場したのは、確か大正だったから一九〇〇年代の前半辺り。これまた五百年前とはかけ離れた未来である。あちらの世界とこちらの世界、それぞれ流れる時間が違うと言うのならそれほど可笑しなことでも無いのかもしれないが……。

「サクラさん」
「ん?」

 顔を上げるとペトルスが何故だかこっちを覗き見ていた。黒縁眼鏡のレンズが上に吊るされた炎の光を反射して、一瞬白く煌めいた。

「その銃、どこで手に入れたんですか? こっちではあまり見かけるものじゃありませんよ」
「……あー」

 手元の銃を見下ろした。そりゃそうだ。首都であるペシェチエーロでもこのスッドマーレでも、第一級魔力保持者の存在により無理に第二級魔力保持者が戦う必要は無いのだからこんなものを持ち歩いている人間はそうそういない。勿論教会本部のどこかにはもしものために保管されてはいるだろうが、そんなところに出入りすることが出来るのは教会の限られた人間だけだろうと思う。

「ちょっとね。貰って」

 言いながら、妙なバツの悪さを感じてそのまま銃身をズボンのウエストにねじ込んだ。
 元の持ち主であった男の顔を思い出す。さくらがやっぱりまだ暫くここに留まっているつもりだと告げた時、彼はただそうかと言った。疑念を抱いた風でもなく喜んだ素振りを見せるでもなく。それはそれで彼らしいとも思うのだけど――。
 そうして告げた時分にも、やっぱり拳銃は彼の元へは帰らなかった。手放したいのか、それともたださくらに持っていて欲しいだけなのかはあのニュートラルな表情からはどうしてもうかがい知ることが出来ない。
 ねじ込んだ状態のまま暫くグリップの感触を指に残して手を引いた。
 ――ゴウン、
 と鐘の音がした。
 教会内部の篭った音で十二回。外ではきっともっと甲高い音でその時刻を告げたものだろうと思われる。

「十二時ですね」

 と声をかけられて、思わず「そうね」と口走っていた。時計の針が頂点を指す時分まで話し込んでいたとは思わなかった。ここでは夜に開いている店がそれほど無いから、必然的に皆就寝時間が早くなる。
 無意識のうちに拳銃の居所を確認しながら、腰を上げた。

「おや、考え事はもういいんですか?」
「うん、まあ……多分ね」

 前に並んだ長椅子の背もたれに手をかける。後ろの席の人間が聖書を置けるように少し広めに作ってあった。
 実際、今考えられることはもう特に無いんだろうという気はしていた。これ以上考えても堂々巡りできっと答えは出てこないだろう。こんなところでうじうじして朝の光を迎えるよりも、とりあえず努力して床についた方がいいと思う。

「お送りしますよ」

 立ち上がってペトルスが言う。相手はさくらより四センチは身長の低い未成年者であるが、そう言って屈託なく笑う様は少し頼り甲斐があるように見える。

「送るって言ってもすぐそこだけどね――」

 反射的に茶化すように言ってから、

「――うん、お願いします」
「かしこまりました、Principessa(プリンチペッサ)

 流暢に母国の言葉を口にして、小さな紳士はそうして恭しくこちらに右手を伸ばしてみせた。彼の真っ白な細い腕が、滑らかな飴色の光を受けて照っている……。思わず苦笑してしまってから、さくらは差し出された手を取った。――ここでも“姫さん”か。



飴色の神様

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