中央に花にしか見えないものや、レンコン状に穴が空いているもの、外縁の凹凸が大きいものから小さいものまで。
 瞬く星のように並べられた無数の小さな歯車郡に、さくらは暫し絶句してしまってから、
 ……溜息を吐き捨てながら口を開いた。

「……で、これは何の騒ぎ?」

 当たり前のように歯車郡の傍にいた真佳があからさまに視線を逸らした。



歯車の範式



「……や、これは私のせいじゃなくてですね、時計が壊れたってゆーのを聞きつけたペトルスくんがじゃあ分解してみよっせっつってごーいんに」
「えっ、中見てみたいって言ってたじゃないですかマナカさん」
「さくら怖いので余計なこと言わないでください」
「他人に自分の分まで押し付けんな」
「はいすみません」

 正座した腿の間に手を突っ込んで見かけだけはしゅんとして見せる真佳に吐息して、ペトルスの方へ視線を投じた。今朝朝食を食べた食堂の床が歯車工場みたいな有様になっている。柱時計というのはこれほどまでに歯車で溢れているのだなと少し感心した。元いた世界ではまた違うのかもしれないけれど。

「直せるの?」

 とりあえず他のことは全部うっちゃって本命だけを唇に乗せると、

「さあ」

 ……身も蓋もない答えが返ってきた。

「とりあえず分解してみたら原因が分かるかもと考えた結果ですから。ぼくに時計を直す技術は無いですよ。人を治すのは別ですが」
「……そんな曖昧な状態でよく……」

 頬を引き攣らせる。自分の所有物ならまだしもこれは宿舎の所有物だぞ……。この分では直すどころか元の位置に歯車を押し戻せるかも怪しい。

「さくら見て」

 それまで一応形だけは反省した風を装っていた真佳が手招きして呼んだので目を眇めつつも彼女の方に視線をやった。朝にでも髪を結ったのだろうか、適当っぽく結ばれたポニーテールに一瞬思わず閉口して、……それで外に出たのかとそのいい加減さにむしろ感心した。

「さくら」

 もう一遍呼ばれたので髪から意識を引っぺがすと、彼女が翳して見せているのはどうやら歯車の一つだった。ちらりとペトルスの方を見たが、文句を言う素振りは無い。何の法則性も無く並べられているらしい(だからそんな曖昧な状態でよく)。
 真佳が何が言いたいのか、その真意をはかりかねたので中腰になってよくよく歯車を注視した。親指と中指で翳されたそれを数秒見て、
 床に転がった歯車郡にも視線をやって、それで漸く合点がいった。その場にさくらもしゃがみ込む。

「傷?」

 どの歯車の外縁にも同じような薄っすらとした傷がついていた。一つだけなら傷くらい可笑しなことでも無さそうだが、全部についているとなると確かに興味をそそられるかもしれない。外縁と言っても歯車の運動に影響をもたらす箇所では無いので、きっと普通に動くだろうが。

「そー。歯車って私、魔術式に似てると思うんだ」
「……魔術式?」
「うん。だから魔術発生を抑えるためなのかなーとか思ったり思わなかったり」

 さっきまでこちらに翳していた歯車を見るともなく見つめながら、真佳は真佳でまた曖昧なことを口にした。でも言われてみれば確かに……と、床にばらまかれた星を見る。規則的に並べられた円や線の模様なんかは町中でよく目にしたそれと似通っていなくもない。魔術記号が象徴するものに関して、さくらはたったの幾つかしか知らないがこれらに何らかの意味があるとするのなら、魔術の発生を抑えるために傷をつけているというのはあり得る理由に思われた。

「まあ、確かそうでしたよ」

 頷いたのはペトルスだった。

「これも――というのは時計のことですが――人工光の光みたいに、人が注入した魔力を一定時間溜め込みつつ発動させるタイプのものですから。時間が過ぎたらまた魔力を注入せねばなりません。その時に歯車に傷が無いと、誤って歯車に宿った何らかの魔術効果が発動してしまう恐れがありますから」
「……手巻き式みたいなものね」
「そちらの世界ではそう呼ばれるんですか?」

 尋ねられたのでまあ実際は多分ペトルスの思っているものではないと思うけどと考えながらも頷いた。多少の差異を修正すべく尽力してみたところで事態がややこしくなるだけだ。

「……時間についてなのだけど、こっちではどうなってるの?」
「え?」と歯車郡をしげしげと眺めてどこに当てはめるべきか悩んでいたらしきペトルスが顔を上げた。
「計測とか。何を基準に時間の流れを計っているのかなと思って」

 しゃがみ込んだ体制のまま彼の背中と振り向いた横顔に問いかけると、ペトルスは一瞬眼鏡の奥でぽかんと瞬きを繰り返してから、

「……計る必要はありませんよ?」
「……は?」

 思わずぽかんとした一語が漏れた。

「時間は神がもたらしたものであり、それが基準であり原因であり概念でありますから。故にこそ時刻を示す魔術記号の組み合わせがあるわけです。魔術というのはそもそも神から与えられる絶対的なお力……というのは、まだ聞かされていませんでしたか? 人工的に作られた魔術式以外のものは、全て神からの贈り物で――、まあつまり、だからこそ時間は神が決めたと断言出来るわけです」

 イマイチ説明になってないことを呟いてペトルスは首を捻った。彼らにとって、時間の概念というものは説明が難しいくらい当たり前のものなのだろう。とりあえず原理とかいうものをうっちゃって考えるなら、時刻を表す魔術式を描いて魔力を流し込んだだけで現在の時刻が何らかの形で示されるようになっているのだろうと思う。それを発見した古人は数字の羅列を時刻と呼んだ。この世界では、時間というものは最初からそこに“あった”のだ。

「“おお、太陽神、我らの活動の源である光の主、その時間の管理者よ”」

 呪文のように呟かれたそれにペトルスの方へきょとんとした視線を送れば、彼は濃緑の双眸を脱力気味に細めてこちらを見つめ返した。

「ヘレディウム記第十一章四節に当たる一文です。ここでヘレディウムが書いているように、かなりの昔から神が時間の管理者であったことが伺えます」
「因みにどーゆー場面?」
「プレーナとノワという、時の従者による呼びかけですよ。彼らは時間というものに最も影響される者ですから。時間の巻き戻しを神に要求しているのです」

 ふうん、と、尋ねた割りには興味を持っているのかいないのか分からない相槌を真佳は打った。その灼熱の双眸が、知覚出来る色と同じようにふつふつと燃え滾っているのは言うまでもないことだ。
 暫くその真佳の横顔を見やってから、話の筋を元のところへ戻してみることにした。

「……魔術式に魔力を注ぎ込むことで時間が分かるのなら、魔術式だけで事足りるんじゃない?」
「それは違います」

 と答えたペトルスの声にはどこか熱っぽいものがあった。

「魔術式だけだと、第一級魔力保持者なんかは時刻を把握することが出来ません。それは非常に不便です。神からの恩恵の一つたる時間を賜ることが出来ないということは。そういうわけで、過去異世界からやって来た異世界人の知恵を拝借し、魔術式に注入された魔力と伝動して歯車を動かし時刻を示すこの時計が作られたというわけです」

 その歯車が今やごっそり抜き取られた柱時計をペトルスは示して見せてから、「……まあ、魔力で間接的に何かを動かすのはこれくらいの大きさが限度になってくるんですが」とかいうようなことを付け加えた。
 成る程、第一級のように、強力だが使える魔術に限りのある人間にとってそれは致命的な不便だろう。不便にならないようにこうしてペトルスというお付きがあてがわれたのではあるが、個人で出来ることが多いことに越したことはない。

「おや、君も帰って来ていたのか」

 背後から不意に聞こえた第三者の声に振り向いた。くすんだ赤髪を相変わらずきっちり後ろで団子にしたこの宿舎の修道女、ルーナ・クレスターニが、籠一杯の洗濯物を携えて食堂へ入って来たところだった。片手で巨大な籠を持ちもう片方で戸を閉める。主婦業をやっている人間らしい挙動だとさくらは思った。
「マナカとペトルスもついさっき帰ってきたところだよ」にっこり笑って歓迎の意を示してから、「……マクシミリアヌスが見当たらないようだが」ふと視線を彷徨わせて、訝しげな顔をした。

「ああ、今、首都の方に連絡を」
「ああ成る程。で、どうだ。明日には旅立てそうだったのかい?」
「……上手く連絡が上に伝わるかによりますね」

 木床に散らばった歯車を何とはなしに指の腹でなぞりながら返答した。冷たい金属の感触が一瞬間だけ指の先に伝わったと思ったら、すぐにさくらの体温に紛れて見えなくなる。木床に引っかかった小指の先が砂埃に僅かに触れて、ざりっという感触が指に過ぎった。
 ルーナが少しだけ、気の毒そうな顔をした。こちらが急いでいることを何となくでも察してくれているのだろう。

「――そうか。出来るだけ早く先に進めることを祈るよ。僕としては、君たちが出来るだけ長くここに留まってくれると嬉しいのだがね」後半はわざと明るめの語調で締めて、「で、調子の方はどうだい、ペトルス」

 ルーナの呼びかけで条件反射的にさくらは後ろを振り向いた。ルーナの登場に気を取られていて全く気が付かなかったが、いつの間にかペトルスがすっかり広くなった柱時計の中にピンク色の頭を突っ込んで何やら何かを見つめている。奥の内壁に何かあるようだ。

「うーん、どうやら魔術式の欠損では無いようですね。魔術は問題なく作動します」

 と言ってペトルスの向こう側にある内壁のに片手を掲げる動作をする。一拍遅れて、薄暗い柱時計内にぼんやりした光が浮かび上がった。正円の領域内を三本の針がその一端を中心点に預けそれぞれ思い思いの方角を指している。三時四十五分……、秒針の位置を把握する前に魔術式上に浮かび上がった光は溶け込むように掻き消えた。

「では、歯車の歯の摩耗かね」溜息混じりにルーナが言う。
「古いものですし、そうではないかと思われます。歯車をどこかで調達した方が良いでしょう。どの歯車かまではそれ専門の人間に尋ねるのが宜しかろうと思いますが」
「了解した。ご苦労だったね。ありがとう」
「なんのこれしき」

 軽々しく言ってのけて、ペトルスは頭を柱時計から引っこ抜いた。それから床に散らばらせた歯車を適当に足の先で柱時計本体の方にかき集めようとする。

「……いやいやいや」

 流石に真佳が突っ込んだ。

「せめてちゃんと戻しとこーよ」
「と言われても、ぼくには戻し方は分かりませんので」
「じゃあ何故分解したし……」
「原因を探るためでしょう?」
「……ん?」
「?」

 そこで多分意思の疎通が出来ていなかったことに初めて気がついたのか、お互いの間に何とも言えない無言の間が出来上がった。ペトルスとしては原因が分かれば後は別にそのままでもいいのだろう。ルーナの方も何も特に言って来ないことから察するに、それがこの国では普通の感覚らしかった。対して真佳は全て元に戻す前提だ。さくらもどちらかというと真佳よりの考えではあるが……、

「別に戻さなくてもいいから、せめて時計の中に入れときなさい。通行の邪魔だし歯車が一個でも飛んでったら事でしょう」

 一つの歯車を拾い上げながら口にしたら、悪戯が見つかった子どもみたいにペトルスにちぇっと軽く舌打ちされた。そういうのは面倒くさかったらしい。歯車に砂粒がついただけで動かなくなったりもするのだがなあ……。土埃ですっかり淀んだ歯車に頬を引き攣らせる。今となってはどちらが本当の原因だったのか確認する術は無い。まあ業者か何かが来たら遅かれ早かれ分かることだし、彼らがいいならそれでいいけど。
 散らかされた歯車をせっせと柱時計の内側に戻し終えたところで、さっきルーナが出て行ったのとは反対側の扉が荒々しい音と共に開け放たれた。

「おっと! なんだこんなところにいたのか! 皆して床に這いつくばりおって!」
「時計を見ていたんですよ」
「時計?」

 肩を竦めて立ち上がったペトルスに、マクシミリアヌスはきょとんとした顔をした。そりゃあ皆で床にしゃがみ込んでまで見るべきものでも無いのだから当たり前だ。時計の後に別の言葉を加えない限りは。
「おお……」どうやら別の方面に勘違いしたらしいマクシミリアヌスは何やら恍惚とした吐息を漏らし、新緑の瞳をビーズみたいに煌めかせて足取り軽くこちら側に近寄って、

「異世界ではもしや別の様式が!!」
「や、大体はこれで正しい」

 誰も何も言わないかと思ったら真佳が普通に突っ込んだ。
 一瞬ちらりとアナログ式以外のモデルが頭の隅を過ぎったが、真佳の方も説明する気は無さそうなので別にいいか。マクシミリアヌスとペトルスが知っているかは知らないけれど。と、おざなりに考えて腰を上げて手のひらにくっついた砂埃を払い落とした。

「時計が壊れてたんですって」
「時計が?」
「動かなくなっていたとのことなので分解して見ていました。魔術式に異常は無し、原因は歯車の摩耗だと考えられます」

 砂埃のついた手のひらを見つめて一瞬眉を持ち上げてから、中指の腹で眼鏡のブリッジを押し上げる。さくらからペトルスへの話し手の転換にマクシミリアヌスは律儀に視軸を移動させて、
 それから少し残念そうな顔をした。

「新たな異世界のことが分かったかと思ったんだがなあ……」
「五百年前の資料には何も書いて無かったの?」

 敢えてか否か迂遠な具合に問いかけて、最後に真佳が床から腰を持ち上げた。臀部についた砂埃をぱたぱたはた落としながら、多分回収し忘れた歯車を求めて床スレスレに視軸を這わす。

「いや、“でじたるどけい”だとか“あなろぐどけい”だとか、様々な種類があると聞いた」たわわに実った顎髭を扱きながら幾度か思案げに頷いて、「おお、そうだ! 異世界人より授けられた水時計と日時計はこの国にもあるぞ! 実に興味深い創作物だ。本来時刻は魔術式を描けばそれで済む話とは言え、やはり風情があるからな!」

 人の二倍はあろう両腕を大きく広げ、きらきらした目で虚空を見上げながら演説をぶつ。さくらはそれをどこか遠いところで眺めながら――
 視線の先を、自然と真佳のいる方向に移していた。真佳は最初不思議そうな顔をしてはいたが、さくらの目を受けてどうやら了解したのだろう。表情を引き締め、“やっぱりか”とでも言いたげな顔で神妙に頷いて見せた。
 まただ。
 また時代のズレ(・・・・・)だ。
 五百年前にデジタル時計は存在しない。デジタル時計が普及しだしたのは一九〇〇年代のことで、五百年前にやって来たという異世界人がデジタル時計を知っているはずがない。銃刀法と言い今回の一件といい、あまりにも――あまりにも、時間軸にバラつき(・・・・)がありすぎる。
 息を吐いて、
 湿った唇を潤した。
 流石にもう無視が出来なくなってきた。こうしてまだ暫くこちらに留まるというのなら――もう少し、本気で考えてみてもいいかもしれない。

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