格子窓から差し込む怠惰な陽光が手元で操る銀食器をきらりと煌めかせた。首裏にぬるま湯みたいな空気の流れを感じて一拍してから、ああそういえば今は春だったのだなということに思い至る。スカッリア国の最南部、海に面したスッドマーレでこうして過ごしているだけで、夏であるかのような意識が払拭出来なくなっていた。実際外に出ようものならその陽射は紛うことなき夏のものだ。

「……マクシミリアヌス、暑くないの?」
「お? おお、いや、これしきのことは何でもないとも!」

 ……どちらかというと暑苦しいのはマクシミリアヌスの方だったことに気がついて微妙に頬を引き攣らせた。
 教会に近いところにある小さな飲食店だった。面会が終了して一息ついた後、そういえば昼食がまだであったことに気がついてマクシミリアヌスと二人、ここまで足を運んでいた。教会に近くはあるが入り組んだ路地をいくつも曲がって進まなくてはならず、もしもペトルスとの合流場所にここを指定していたらああしてスムーズには出会えなかったろうと思われる。そこら辺はマクシミリアヌスの配慮だろうか。待ち合わせ場所を決めたのがどちらであるのか、さくらは一切知らないのだけど。
 新鮮な白身魚のフライを口に運んで咀嚼する。
 店の奥で主人が食器を洗うカチャカチャした生活音がこもって聞こえた。昼を大幅に過ぎたこの時間帯、土地柄も手伝ってか店内にはあまり人は無く、さくらとマクシミリアヌスを除けば老女が一人と、それに顔をローブで覆った酒飲みが一人ぽつんぽつんといる程度だった。このお店はどうやら夜には酒場に変わるらしいということをマクシミリアヌスに教えてもらった。
 一旦宿舎に戻ってから外出するルートや、そもそも昼食を宿舎で食べる簡易なルートも考えついたのだがちょっと考えた結果やっぱり二人で外食しておくことにした。教会からマクシミリアヌスが宿舎のルーナさんに電話で確認を取ったところ、どうやら二人はどこかへ出かけてしまったようだったし(その件に関して思うところはあるもののまあ余計なものを引っ張りこんで来ないならば観光は好きにすればいいのではないかということで落ち着いた)。
 目の前でゴツンという音がした。マクシミリアヌスが、あまり丁寧とは言えない動作でコップをテーブルにたたきつけたらしかった。

「さて」

 ナプキンで一旦口を拭いながら、

「西だったなあ」
「西だったわね」

 実のない確認のし合い方をして、さくらの方は付け合せのパスタをフォークでもって掬いあげた。オリーブオイルとパセリで和えた簡単なものだが普通に美味しい。スカッリア語と言うのがイタリア語に近い言語であるだけに、食の方も鳥肉の次にパスタの割合が高かった。無論この国の人たちはイタリアという国自体知るはずも無いと思うが……。

「ではまあ、西で確定だろうな」
「そうね。首都の方からはいつオーケイが出そう?」
「そうさなあ……。まあ、今日帰ると同時に連絡は飛ばしておくつもりだからな。早ければ明日の朝には貰えるだろうて」
「……そう」

 パスタを口に運んで咀嚼した。
 つまり今のところ、全て予定通りに事が運んでいるというわけだ。さくらの望んでいる通りに事が。
 ……安堵すると同時に、また不安も抱いているということにさくらはとっくに気がついていた。
 フォークの先を皿の端に軽く添える。さくらが探しているもの、つまり父母を殺した犯人の手がかりが見つかると聞いて発作的にここに留まることを選んでしまったが、果たしてそれが正解だったのかどうか。こちらの世界ではどうか知らないがあれはたかだか占いの結果でしかないし、それで生まれた世界とは別の異界に長逗留するなど正直正気の沙汰ではない。そもそもあちらの世界で殺人を犯した犯人の手がかりが、こんな異界に本当に存在するんだろうか?
 ……日を追うごとに、あの選択は間違いだったのではないかという不安が増しているという真実を無視することは出来なかった。さくらだけならまだしも、今回の件には真佳も関係してしまっているのだ。あの子だけでも帰すべきだったのではないか――もしもあの時みたいにまた“異世界案内人”がここに現れたら――。

「――」

 真っ白な浅皿に触れる銀のフォークが、背後からの陽光に照らされて白々しげに光を放つ。自然詰めていた息を吐き捨てた。……無理だ。先に帰れと言われて大人しく帰るほど素直な性格をしてやしない、あの女は。それにきっと、どれほどその情報が胡散臭いものだとしても、両親を殺した犯人が分かると言うのならさくらは何度だって同じ選択をしただろう。無理なんだ。どれだけ不安に思おうが、今ここにいる現実は覆らない。
 それでも、と思わずにはいられないのは――
 溜息を吐く。
 多分、異世界というこの場所に、あまりに不確定要素が多すぎるからだ。さくらはこの世界に関して何も知らない。何かあったとき、元いた世界と同じように立ち回れるという自信が無い。

(だから多分、余計に真佳のことでも神経質になっているんだろうけど……)

 アイツがそう易々と殺されるタマではないことは勿論理解していても。
 そして多分、それを真佳自身が理解している。いや、感じ取っていると言うべきか。だから今回ペトルスとどこかへ出かけたというのは自分の思考を変えるいい機会だとも考えた。本当に危険なものをひっつかんでこなければ、だけど。

「嬉しくなさそうだな」
「え?」

 白身魚のフライを口に放り込もうとした瞬間にそんなようなことを口にされて、思わずさくらは素で聞き返した。
 嬉しくなさそう……か。まあそう見えたかもしれない。自分の思考回路を遡りながら魚のフライを咀嚼して、嚥下。

「ちょっと慎重になっているだけよ」

 肩を竦めてそう返してから、ふと思いついて続けて別のことを口にした。

「……ねぇ、運命鑑定士ってどうやって鑑定するの?」

 目を細めてそれこそ慎重に尋ねると、マクシミリアヌスはケチャップのたっぷりかかった魚のフライを豪快に食いちぎりながら、「あん?」適当っぽい相槌を打った。

「あー、ああ、運命鑑定士な。そーさなー……」

 もっしゃもっしゃと咀嚼しながらテーブルナプキンで両手を拭い、それから考えこむようにぎゅっと強く眉根を寄せて黙りこむ。
 ……こちらで面会した運命鑑定士の姿を思い起こした。建物の西側にある部屋は太陽の恩恵を受けるにはまだ早すぎて全体的に薄暗く、正確な容姿を上げろと言われると無理だろうが大体のことは覚えている。針のように細い女だった。チュール製のベールを頭からかけていた辺りは実に占い師っぽく見えたが、逆にそれが胡散臭さを助長させた。首都で会った鑑定士はもっと野暮ったいおじさんで、それらしい説得力も少しはあったのだが……。
 口中のものを全て胃に落とし込んだらしいマクシミリアヌスが、えへんとそこで咳払いした。過去にやっていた意識をそこでマクシミリアヌスに移行する。

「ソウイル教というのが、太陽神ソウイルを祀っている宗教であるということは君も良く知っているな?」

 フォークを一旦置いて頷いた。その話はこの世界に来てからかなり最初の方にされていた。神の外見とか神が神と祀られるようになった所以とか。
 さくらが最初に出会ったこの国の人間はスカッリア国で普遍的な旧教派という奴ではなく、アウトサイダーな新教派という奴だったが信仰心はマクシミリアヌスと然程変わっていなかった。だから尋ねた時には色々なことを教えてくれた。マクシミリアヌスが重々しげに頷き返す。

「そのソウイル神の象徴であるお天道様に直々にお言葉を頂戴するというのが運命鑑定士だ。通常暗所で祈りを捧げてお言葉を賜ることが多い……というのは君も知っているか」
「そうね、それは聞いた」

 この港街の運命鑑定士を頼ろうという段になった時に。でもその時は、もっと儀式的な何かを想像していたのだけれど……。
 頬杖をついて反対側の手でテーブルの縁をトンと叩いた。実際にああして見てみると、儀式なんてものじゃない。薄暗い部屋で長時間じっと向い合って座ったまま、お互いただ黙りこくっていただけだ。祈りの言葉も口にしている様子は無かった。口元もすっぽりベールで覆われてはいたけれど、それくらいのことは見て取れる。

「あれが祈り? 口に出しては言わないのね」
「口にする理由が無いからな」

 あっさり当たり前みたいに言われて一瞬意識がついていけなかった。……つまり、ソウイル神とは心で繋がっているためわざわざお言葉を頂戴する際にまで発話する理由が無い、ということ……を、言いたいのだと思う。多分。

「じゃあ何でわざわざ暗いところを選ぶの?」
「太陽神の恩恵を受けやすくするためだな。俺は運命鑑定士ではないから詳しくは知らないが、カルドゥッチはそんなようなことを言っていた記憶がある。人工的な灯りがあると雑音が混じるのだと。また、あまりに明るすぎる光は神からの影響が強すぎて該当箇所の抽出が難しくなるそうだ。陽光が強すぎる際はカーテンを引いて調節すると聞いた」
「ボニファティウスがお告げを持ってきたのは夜中だったはずだけど」
「それがなあ、呼びかける時とお言葉が降ってくる時とではどうやら勝手が違うらしい。運命鑑定士という生き物の構造は俺にもよく分からん」

 そう言って腕を組み難しい顔で吐息の塊を吐き出した。運命鑑定士も同じ人間であることには変わりないと思うのだけど……とツッコミを入れることは、多分無粋なことになるので黙っておくことにする。
 皿に引っ掛けていたフォークを握りしめて、魚のフライに向き直りつつ吐息して口を開いた。

「――つまり、太陽を通して間接的に神様とやらに通信を取っているだけで、星を読んで占っているとかいうわけでは無いのね」
「おお、何だその星を読むと言うのは! そちらでの神託の仕方か!」
「……」

 しまった余計なことを言った。
 フライと一緒に放り込んだフォークを咥え込んだまま思わず絶句。ちらりと無意識下のうちに視線を左の方向にシフトしたがそんなところに助けが転がっているわけもない。五月の新緑に近しい双眸を話の続きをせがむように煌めかせている相手に向かって、そこのところを懇切丁寧に教えてやる気力は勿論無く(というかテレビに出てくる占い師なんかがよく話しているのを覚えていただけで、さくら自身詳しく説明出来る自信も無く)。

「…………そういうことを出来る人がいるらしいってだけ。私も詳しくは知らない」

 結局そう言っただけでこの場は逃れた。



運命の羅針盤、回して



 店内から一歩足を外へ踏み出しながら、降り注がれた太陽光に片手でひさしを作って空を見上げた。赤く燃えた手の向こうに太陽の存在を確かに感じて、翳した右手を覆うように放射される太陽光を暫しじっとりと見つめながら目を細める。
 ボニファティウス・カルドゥッチが首都でさくらに告げた言葉も、この港街でスッドマーレの運命鑑定士がさくら自身に告げた言葉も、どちらも嘘偽り無い真実であるとするのなら、きっとそれは彼らの言う神様とやらの意志にほかならないのだろう。彼ら自身では無い、何か大きな、それこそ運命とも呼べるかもしれないものがさくららに西に行くことを要求している。
 ……赤く透ける右手を介して、真佳の燃えるような赤い双眼を不意に思い出していた。あの子ならこういう時どうするだろうか? ずっと欲しかったものがこの先にあるかもしれないと言われて、それがどうやら西にあるらしいと言われたら――
 ……、ふっ、
 と、息を吐くように笑った。

「サクラー! 帰るぞー! マナカもペトルスもいい加減宿に戻っているだろうてー!」
「大声出さなくても聞こえる」

 口の端に微笑を乗せたまま言い返して漸く足を動かした。真佳なら? 決まってる。「何とかなる」とか適当なことを言っておいて、がむしゃらに突き進むに違いない。だってそれは、彼女がずっと欲しかったもののはずなんだから。欲しいものを手に入れるためには多少のリスクはやむを得ない。
 ならば少し、
 ――真佳には、付き合っといてもらおうか。

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