「子どもじゃないですよ、十四歳です。来年で立派な成人です」

 ――と、夕焼け色したクリームソースに絡まったパスタをフォークでくるくる回して口に運びながら、ペトルス・ズッカリーニは主張した。マクシミリアヌスは苦り切った顔で、「子どもではないか」とさっきと全く同じ言葉で突っ込んだ。貝とホワイトソースが絶妙にマッチしたスパゲッティを絡めとりながら真佳は思う。この国では十五歳で成人なのか……。スパゲッティは美味しかった。
 三角形が四角形になったところでペトルスの分も追加注文を無事果たし、食事を摂りながらの話し合いと相成った。話を傍から聞いている分には、どうやらペトルスもソウイル教会側の人間であることは間違いないらしい。ただその所属はと言うと――。

「ぼくは医術士の卵なんですよ」

 ソースより濃いニンジンみたいな塊(多分野菜じゃなくて魚介類の一種。だと思う)をフォークで掬い上げながら、何でもない風な顔でペトルスが言った。

「いじゅつし?」

 尋ねたのは真佳である。

「そう。ああ、あなたがたの世界で言う――その――イシャです。医者。魔術で人を治療する人間ですね」
「それは教会側と治安部隊側どっちに入るの?」
「どちらかと言われると治安部隊側でしょう」と、そこでフォークで塞がった手の小指を無理に使って黒縁眼鏡のブリッジを押し上げ、「有事のときは軍医として駆り出されるので。まあ普段は教会側と言っても通りますけどね」

 特に自分みたいな卵はと言って、ペトルスは肩を竦めて笑った。笑ったとき笑いジワがくしゃっと出来て、何だか途端に子どもっぽく可愛くなることに真佳は気付いた。マクシミリアヌスと同じ瞳の色なのにそれよりずっと濃ゆいので、苔むした岩みたいなものを想起する。
「それよりもだ」トントンと苛立たしげにテーブルの表面を叩きながらマクシミリアヌスが口火を切った。

「本当に教会は君を選んできたのかね? いくらなんでも――」声を潜めて、「――異世界人の護衛だぞ」
「それがねぇ」

 と夕焼けパスタを口に運びながらペトルスが言った。

「あっちも何かと忙しいらしいんですよ。ここ最近無差別に通行人を殴殺してる殺人鬼が現れた……って話は、首都でも出てます?」
 マクシミリアヌスが重く頷く。「噂なら聞いていた」
「その対応に忙しいらしいんですよね。模倣犯まで出る始末で、今じゃこっちの教会はてんてこ舞いですよ。手の空いてるのが希少なくらい」

 癖のある薄桃色の前髪をちょっと弄りながら、話の内容にそぐわない軽々しさで彼は肩を竦めた。

「だからと言ってなあ!」
「別にいいじゃない」

 と激高しかかったマクシミリアヌスを止めたのは、かの大男の正面に座するさくらである。薄めたミントシロップみたいな淡緑色のクリームが弧を描いて皿に付着しているだけで、タッリアテッレとかいう幅の広い平麺はそこにはない。彼女とマクシミリアヌスはとっくに食事を済ませてしまって、今は唇を冷水で湿らせているところだった。もうじきしたら食後のエスプレッソが運ばれてくる頃合いだろう。フォークを駆使してマイペースに細麺を口に放り込みつつ考察する。

「どうせそう長くここにいるわけでも無いんだし。まさかそう何度も殺し屋に命を狙われることも無いでしょう」――という言葉に真佳はちょっとどきっとした――「私は、ペトルスでいいと思うわよ」

 ……思わず動きを止めていた手を動かして、口中ではパスタを咀嚼しながら私もそれでいいと思うというようなことをもぐもぐ口にした。マクシミリアヌスが途端渋い顔をする。ペトルスは話の中心でありながら我関せずといった具合で、パスタをむしゃむしゃやっていた。今気付いたけど微妙に猫背だ。

「どうせ一日や二日なんでしょう? その、運命鑑定士とやらを訪ねるって言うのは」

 マクシミリアヌスの渋面を見て仕方なさそうにさくらがまた口を開いた。テーブルに頬杖をついたところでウェイターさんがやってきて、空いた皿と交換にエスプレッソを置いていく。ありがとう、と、小さな声でさくらが言った。

「……運命鑑定士の方は一日あれば十分だ。今日はこのまま、こちらからペシェチエーロに無事着いた旨報告して宿舎に泊まる。明日こちらの運命鑑定士と謁見し、カルドゥッチの出した鑑定結果と照らしあわせて当面の目的地を決定した後これを首都に報告。上手く行けば二日後には出発出来るだろう」

 大柄な体躯とは似つかない事務的な低声で呟いて、マクシミリアヌスはエスプレッソの小さなカップを傾けた(マクシミリアヌスが持つと本当に玩具か何かみたいだ)。
 カルドゥッチ、つまりボニファティウス・カルドゥッチはここ、スッドマーレより北にある首都で働く運命鑑定士である。所謂占い師みたいなものらしいのだけど、教会お抱えの重要なポジションを与えられているということで彼のお告げにはそれ相応の価値がある。
 そのありがたい金言の一つに選ばれたのが、真佳から見て右隣に腰を下ろす姫風さくらの件だった。
 そもそもの話今現在真佳らがスッドマーレという港街でパスタを貪っているのも元の世界に帰してくれると申し出てくれた“異世界案内人”のおっちゃんの言葉を断ったのも、ひとえにその金言が原因になっているのであった。
 ――あんたの両親は殺されている――。
 ボニファティウスがさくらに対して口にして、あの場の雰囲気を一遍にひっくり返してしまった言葉だ。続けてこうも言った。「あんたの探しているものは、この世界(ここ)にある」。
 それだけ。
 それだけでただ十分であったことを真佳は知っていた。長年彼女が探し求めていたもの、それがこの世界にあると言うのなら、彼女を残して真佳一人帰るわけにもいくまいて――ホワイトソースに舌鼓を打ちながら小さく思う。
 ただボニファティウスの告げた《運命》は、実際にそれを求めさまよい歩く身としては必要十分なものでは無かった。辛うじて北西の辺りの可能性が高いという付言を頂いたものの、具体的なことは何も全く分からない。ということで、提案されたのがこれだ――まず転移魔術で簡単に行けるスッドマーレに飛び、そこで再び別の運命鑑定士に鑑定して貰って指示を仰ぐ。ボニファティウスの鑑定結果のように自然的に掲示されたものではないので命中率は下がるとのことだが、ボニファティウスの言う北西の方角と合っていれば立派な一つの指標になる。
 ――と、ここまでがさくららの頭で考えだされた結果、今に至るわけである。皿にふんわり溜まったホワイトソースを絡めとって最後の一口をぱくり。さりげない風を装って向かい側を見るとペトルスの皿もすっかり空になっていた。……一秒差で負けた。

「まあつまり、今流行りの連続殺人鬼に気をつけて、皆さんがこの数日を大人しく過ごしてくだされば――」

 ナプキンで口元のクリームソースを拭いながら、飄々とした軽い口調でペトルス。

「――ぼくでも問題は無いわけですね」
「ぬ……」
「どの道危険は無いのだから、そう悪い話でもありますまいに――“あなたがもし私に慈悲をかけ好意を与えてくださるならば、私はあなたの手となり足となり瞳となる、忠実な召使いとなりましょう”」

 ……目を瞬かせた。
 流れるように口からいでたその文句に聞き覚えがあった。いや、文字そのものに聞き覚えは無いのだけれど、ペトルスの話すその口振りはどこかで聞いたことがあるような気がする。

「ピソ記四章十七節です。ソウイル神に仕える聖人に対して、メルクリウス――後に聖人となる偉人のことです――が言った言葉」

 真佳の視線に気付いた彼が、口元に小さな弧を描いて補足した。左隣に座るマクシミリアヌスが呻るように、「そんなことは知っておる」微妙にズレた言を口にした。

「聖書詳しいの?」

 尋ねてみると、ペトルスは鈍く微笑した。

「この世界の敬虔なソウイル教信者なら、誰でも知っていることですよ」

 それでも咄嗟に聖書の一節が出てくるのは凄いと思う……。書名はともかくとして、何章の何節の言葉だとかいうのをきっちり覚えている人間はそうそういないのではなかろうか。少なくとも、これまで真佳が会ったスカッリア国民の中でそんなような正確な引用を挟んでくる人はいなかった。

「マクシミリアヌス」

 脱線しかかった話を、肩を竦める仕草でもってさくらが戻した。空の皿に気付いた店員さんが真佳とペトルスの分の皿も下げて、代わりに小さなカップを運んでくれる。エスプレッソ……。苦いのであまり好きじゃないなあと以前真佳が漏らしたら、砂糖をたっぷり入れる者も多いのだからそうしても良いのだぞと屈託ない笑顔でマクシミリアヌスに言われた。テーブルの真ん中にあった調味料の中から砂糖を選んで、カップにでろっと入れてみる。三杯くらい。特に誰にも突っ込まれなかった。

「……」

 同じくエスプレッソを嗜むペトルスを、マクシミリアヌスは暫し苦々しげに見やってから、
 調味料に埋もれたテーブルナプキンを震わせるくらいの大げさな溜息を吐き出した。

「よかろう。だが君たち、以前のように(・・・・・・)あまり無茶はしてくれるなよ! 俺の体は一つきりしか無いのだからな!」
「肝にめーじておきます」

 エスプレッソを啜りながら軽い感じで呟くと、「……アンタのそれが一番信用ならないのよ」隣のさくらから小さなツッコミを飛ばされた。


エスプレッソに沈む砂糖

 TOP 

inserted by FC2 system