飛び出したと同時に真正面から叩きつけられた刃の雨に軽く笑った。クナイを回して臨戦態勢。左方向に跳躍、着地と同時に刃の塊を振り下ろされてまたまた後方へ飛び退った。今度は中々に本気である。今度はというか、まあ前回戦ったときは殆ど真佳の不意打ち勝ちだったのだけど。

「――」

 何事か話しかけようと口を開いた刹那、情け容赦なく刃の切っ先による突きを食らいそうになって危うく舌を噛みかけた。お喋りする気が微塵もねぇ。トゥッリオの持つ片刃の剣は、真佳のいた世界で言うカットラスに近い形状を取ってはいるが彼がそれを知っているかいないかは全くもって不明である。鉄と鉄とがぶつかり合って甲高い音が再びホールを貫いた。避ける暇は無かったのでクナイで捌かせていただいた。

「せめて余裕っぽい素振りで戦おうとか思わないかねっ」
「思わないねっ。あんたは殺す。即刻殺す」

 鍔迫り合いに持ち込まれたら不利なのでこっちから飛び退って間合いを取った。それまでそこに立っていたんだろう教会関係者が慌てて壁際に退いたのを感覚で理解。そのまま皆も壁際まで、出来れば廊下の方まで出て行ってくれないかなあ。トゥッリオを撃とうとする人が出ないだけでも有り難くはあるのだけれど。と。

「そんなに私が嫌いかね。きっずつくなーもー」

 茶化して見せたら物凄く嫌そうな顔をされた。分かってるくせにとでも言いたげな。眉間のシワを残してそれもすぐに消えたけれど。

「マナカ!」
「はい?」

 マリピエロの声がした。そうと認識したのは反射的に返事をした後の話だ。外野から声をかけられる可能性があることを、どうやら自分はついさっきまで失念していた。

「お前退け! 即刻退け! アンタいると発砲許可出せねーだろうがっ!」
「それが狙いなので嫌です」
「はぁ!?」

 キレられた。ぼそっと答えただけなので多分マリピエロには聞こえていないと思うのだけど……まあどっちにしろキレられるのは当然なのだし甘んじて受け入れようと思う。彼らにとってはとんでもない邪魔者であろう自覚はある。けれどこればっかりは絶対に、

「フェッロ・ルーポ!!」

 飛んだ訓令に思考を捨てた。肌に触れる感覚に全てを任せて、
 跳ねる。右へ。瞬刻、鉄製の爪が床をひっかく金属音が高い天井に木霊した。音の出処は真佳がさっきまで屹立していたその地点。

「……もっと早く出すと思った」

 ざわりと周囲がざわめいた。第一級魔力保持者の特性の一つ、眷属の使役――。トゥッリオ・パンツェッタがそれであることは勿論全員が知っている事実だろうが、実際に目にするまでそれはただの知識でしか無かったのだろう。マリピエロが即座に制止の動作を取っていなければ、誰かがプレッシャーに負けて発砲していても可笑しくなかった。
 ――ちっ、というあからさまな舌打ちが鼓膜を叩く。「当たると思ったのに」狼の低い威嚇の声に混じったそれはとても子どもっぽい無邪気なもので、だからこそ多分トゥッリオの異常性を周囲の人間に印象付ける。
 こてりとそいつは小首を傾げる。長い白髪がはらりと舞う。マリピエロの苛立たしげな視線がいい加減にしろと真佳の方へ訴えた。

「さー。どうする、お姉さん。流石にオレとフェッロ・ルーポを相手にさぁ、立ち回れるはずが無いと思うんだよね。オレつえーし。諦めた方が身のためだと思うけど」
「……」

 目を伏せて、
 ――息を吐いた。

「……そんで、私が身を引いたらキミは甘受して撃たれるの?」
「……え?」

 トゥッリオが驚いた顔をしたのが見えた。視界の端で鉄の狼がずっと唸りを上げている。主人が一体今、どんな思いでいるかも知らないで。
 唇を奇妙な形に歪ませて――トゥッリオ・パンツェッタは小さく笑った。

「変なことを言うお姉さんだなあ。あんたが身を引いたら、オレはあんたを殺すの。あんたを殺した後のことは、知ったこっちゃ無いけどね」
「キミがフェッロ・ルーポを呼んで、私が横に跳んだとき」

 殺し屋の向かう話の方向をねじ曲げた。

「私を殺すことは出来なくても、私に痛手を負わすことは出来たはずだよね。私の動きを止めることは、キミにとっては簡単だった」
「……あんたに動いてもらわなかったら、あんた殺す前にこいつらがオレを殺しちまう」
「それは私が身を引いても同じはずだよ。最初から彼らは、私が動きを止めると同時にキミに向かって引き金を引くつもりだった。なのにキミは、私が身を引くことのみを目的として動いている」

 トゥッリオの頬が僅かに強張っているのが見えた。治安部隊員はその場から誰も動かない。誰か一人でもトゥッリオを撃ち殺そうとしたならば、その時はまた真佳が前に出て銃口を上げさせるつもりだった。
 ――息を吐く。
 多分、嘆息というのに近かった。

「トゥッリオ」

 短く名を呼ぶ。
 トゥッリオの右腕が、長い袖の中でぴくりと反応したような気がした。

「キミは、私を守って戦っている」

 息を呑むような一拍の空白。

「……何を」
「私に害が及ばぬまま、先に自分が死ねるよう。皆に殺してもらえるよう」
「何を」
「自分は殺し屋だから。殺し屋は死ぬまで、依頼人に指定された標的を殺さないといけないから、」
「何をっ」
「だから私を殺す前に、皆に自分を殺してもらうよう仕向けるしかなかった――っ。それ以外に殺しをやめる方法は、」
「何を!!」

 響いた大声に発話をやめた。

「……何を、言い出すかと思えば」

 それは吐息と共に吐き出された言の葉だった。呼気に挿入されたたったの一文。だから弱々しく聞こえたのかもしれないし、若しかしたら――、……。
 トゥッリオが僅か、顎を持ち上げてこちらを見た。

「――じゃあ教えてよ。何でオレが、あんたを守らないといけないんだ」
「知らないよそんなの。一番可能性があるとしたら、私のことが気に入ってくれたとか」
「……あんたね」

 呆れたようなジト目で睨まれた。何だ、違うのか。ちょっとがっかり。

「じゃあ何で?」

 小首を傾げてこちらが問う。殺し屋は一瞬、何で問うた側である自分が答えなきゃならないんだみたいな顔をした。そんな顔をされたって、元はトゥッリオの心情を求めての問いなのだからそもそも真佳に聞く方が間違いだ。

「……」

 開きかけた少年の、唇に震えた空気が鼓膜の表層をなぞった後、
 ぱしゅっ
 ……という音がした。
 何か小さくて軽いものが弾き出されたような音。何かに似ているかもしれないと思った。例えばそう、何年か前に流行した、BB弾を発射する玩具の拳銃の発砲音……とか。
 ――肺に何かが詰め込まれたのではないかと思う。呼吸が上手く出来ていない。脳ではまだ目の前の光景を理解出来ていないのに、視神経だけが勝手に動いて音の出処を探っていた。いや、探っていたんじゃない。実際には知ってたんだ。どっちの方向から聞こえたかなんて、そんなの

「ッ――!」

 声にならない叫声は誰のものか。人体の倒れた重く鈍い音を聴覚が拾いきったとき、真佳はトゥッリオを見ていなかった。見ていなくとも知っていた。左胸から噴水のように血を噴き出して絶命した、殺し屋と名乗ったその男の末路くらい。

「ッ、ベルンハルドゥス……っ!!」

 呻った。無理矢理。肺に残った些少な空気を全部全部言葉に変えて。喉が痛んだ。肺が痛んだ。それと同時に咽喉の奥がツンとした。
 ――食いしばる。
 目の奥側に力を込めた。
 男はそこに立っていた。
 最初に出会った頃とは何ら変わらぬ風采で、人の波に紛れるように真っ直ぐそこに立っていた。周りの人間が気が付かなかったわけはない――発砲音が確かにそこからしたことを。だからこそ、彼の周囲にいた人間は全員彼の様相を驚いたように見つめていた。
 十四年式拳銃――カタログでしか見たことの無かった拳銃が、彼の――……ベルンハルドゥスの、右手に握られているのを実見して真佳は小さく吸気する。
 ――歯を、
 食いしばる。

「……なんで、」

 息を吐いた。
 息を吐くと同時に声を出した。さっきのトゥッリオがやったみたいに。
 ……喉が、詰まった。

「何で、殺したの、ベルンハルドゥス」

 ベルンハルドゥスがこっちを見た。
 ……最初に見たときと同じ目だった。綺麗なアイスブルーの目をしていて、前髪を上品に流していて。色素の薄い髪、ぱりっとした清潔な装い、どれもこれも同じなのに、ただ一つ、あの銃だけが異質だった。
 ベルンハルドゥスは、微笑わなかった。

「――何故、と……」

 小首を傾げて彼が言うと、切り揃えられた前髪が形の良い額にさらりと揺れた。

「仰られても、お答え致しかねます。……強いて言うならば、彼が殺し屋では無いからでしょう。僕が依頼したのは殺し屋であって、トゥッリオ・パンツェッタという男ではありません」
「ッ――」

 不要だと、
 ……言うのか。殺し屋でないトゥッリオに価値は無いと。意味は無いと。だから殺した? ……ベルンハルドゥスは、こいつは――

「……殺し屋ではない僕が貴方様を殺害するのは神の真意では御座いませんが――」

 機械的な音がした、気がした。ベルンハルドゥスの手に収まっている拳銃の銃口が真っ直ぐこちらに向けられている。安全装置は無いようだった。以前さくらに話を聞いたところでは、どうやらあれは人の魔力を弾丸代わりに発射する代物なのだそうだ。だから、念じなければ人を撃つことは出来ない。

「――致し方ありません。僕が貴方を殺します」

 死刑宣告。
 ……――念じられているのだな、と思った。
 トゥッリオの死も、真佳の死も。
 ベルンハルドゥスの水晶球みたいな瞳に答えは書いていなかった。何も無かった。憎悪も憤怒も憐憫も、激情らしきものは何一つ。
 ……至極冷静に、さくらにバレたら怒られそうなことを考えていることに気がついた。
 このまま、ここに真佳とベルンハルドゥス二人だけだったならば流れに任せて殺されてしまうのもいいと思った。自殺欲があるわけでは無いけれど、あそこまで冷静に死を願われているのであればそれでも別に構わないような気がした。
 でも、ベルンハルドゥスにとっては残念なことに、ここにいるのは真佳と彼の二人だけではありえない。
 機械的な音がした。
 全員は動かなかった。動けなかったと言っていい。けれど治安部隊員の数人とさくら、それにマリピエロだけは動いていた。動いて、数挺の銃口を、或いは魔力の切っ先を、ブレぬ動きでもって彼の脳天に突きつけていた。
 ……ベルンハルドゥスがちらりとそれを横目で見た。

「銃を下ろしなさい」

 さくらが言った。

「そうすれば痛みを感じることも無いでしょう」
「……僕を殺すつもりですか?」息を吐いて彼が言う。銃口はブレない。
「かもしれん。が、そうはならんだろう。アンタには聞きたいことが山ほどある」

 言いながら、マリピエロがこちらに横目を投げているのに気がついた。距離の目測。頭の中にピンと閃いたものを確定事項と判定する。よくよく考えてみれば、マリピエロの魔力があれば彼の放つ弾丸を防ぐことは十分可能なはずなのだ。ベルンハルドゥスの持つ魔力がそう強くなければ、の話だけれど。
 ……と、いうことは。

「――」

 ベルンハルドゥスに勝ち目は無い。
 彼には真佳を殺せない。
 ……息を、吐いた。

「……それは……困りますね」

 ベルンハルドゥスが小さく言った。微苦笑するような言い方だった。困ると言ってはいるものの水晶の瞳はやっぱり何も映さない。失望も、悔恨も、口惜しさも。
 ……映さない、のではなくて、それより大きい何かが彼の心を覆ってしまっているのだということに気がついた。
 広がる感情はただ一つ――透き通っていてしなやかで、天衣無縫で慈愛にあふれた――愛情というのに似ているけれど、これは愛情というよりもむしろ、
 ……――機械的な、音がした。

「……ベ、……ルンハルドゥス……?」

 笑った。
 彼が。
 ……最初に会ったときと寸分違わぬ顔ばせでもって、彼自身の米噛みに――自ら鈍光する銃口を押し付けて。
 ……声が引きつっていたのが自分で分かった。

「何、……やって、」
「だから、どうしてもやめてもらわなければなりません」
「へ……?」

 空気の抜けたような、情けない音が出たと思った。マリピエロの存在である程度弛緩していたはずの空気感が、一転一挙に張り詰める。この場にいる全員が、訓練を受けているはずの全員が、ものの見事に居を突かれて動揺していた。……何だ、この、展開は?

「……銃を降ろせ」

 低く、呻るような声音でマリピエロが発話した。

「銃を降ろせ、ベルンハルドゥス!」

 魔力のうねりが弾倉に注がれる気配がする。冷静に冷酷に冷淡に、彼は彼自身の死を望んでいた。念じていた。彼の水晶はこの局面にあっても一切何も映しはしない。だから、だからこそ、例えそれがトゥッリオを殺した相手であっても、

「ベルンハルドゥス!!」

 枯れた喉で叫ぶと同時
 ――筒音が、鼓膜の中央をぶち抜いた。


Crisantemo-クリザンテーモ-

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