「よっ」

 という一声と共に、ぽんと頭に手を置かれた。反射的に振り返る。頭頂に置かれていた手は逆らうことなくさくらの頭から手を引いた。人の温もりが離れたことを認識しながら、

「カタリナ」

 恐らく頭に触れていたのだろう手を掲げながら、ニカッと笑うその人物の名を呼んだ。身長差は十センチくらい。さくらの頭に手を置くくらいカタリナにとっては何の苦もないことであろう。
 ……頬のところに薄桃色のペーストが付着したまま残っていた。
 格好良い姐御でありながら、こういうところは抜けてるんだよなあ……と、さくらは少し苦笑する。

「何? ご飯はもう食べちゃったから、何もあげられるものは無いわよ」
「そんな人を食いしん坊みたいに……。違う違う、さっきのさ」
「さっきの?」
「そう、さっきの。推理、凄かったねー」
「そんな」

 視線を逃がして微苦笑。視界の端でカタリナが、丸太で作られた座席に腰を下ろし、組んだ足の上でにこにこと頬杖をついていた。……どういう顔をすればいいんだ。

「……凄いって言うほどのことでも無いでしょう。状況を整理して、論理的に可能性を狭めていっただけであって別に特別なことじゃあ」
「でもあたしには出来ないことだよ。うん。サクラは凄い」

 自信満々に断定された。

「…………どーも」

 腕を組んだまま視界を更に左へシフト。視野の外側でくつくつと木の葉を叩く音がする。苦虫を噛み締めながらそれでも意地で口角を持ち上げて、
 ……天空目掛けて吐息した。野鳥が鳴きながらブルースカイの空を旋回している。
 平和だ。
 まあ、事態が動く前というのは得てしてこういうものだけれど。今までの経験から、さくらもそれは知っている。

「姫さん」

 別のところから呼びかけられて視線を外した。すっかり“姫さん”呼びが定着しているが、恥ずかしいからやめてくれなどとわざわざ言う気にもなれないのでつい惰性でそのままだ。真佳に聞かれたらにんまり顔でからかってくるのだろうなあ……。とりあえず蹴っておけばいいのであまり問題視はしていないけれど。

「姫さん、首領とグイドがついているといっても夜の森ですから、一応念の為に携帯食作っておきやすが問題ねぇですかい?」
「ああ……、うん。大丈夫。むしろありがたい」
「へへ。じゃ、腕によりをかけて作らせていただきやす」

 そう言ってトマスはくしゃりと笑った。普段はヤコブスと同年代辺りかと漠然と思っていたのだが、こうして見ると二十代後半に見えないこともない。トマスの年齢は全くもって不詳だ。
 テントの脇、じゃがいもと玉ねぎを一緒くたに放り込んだ麻袋をしゃがんでごそごそやりがら、トマスが再び口を開いた。

「姫さんのご友人、すげーですね」
「凄い?」
「何というか……すげー無茶します」

 顔だけ振り向かれて苦笑されてしまった。ああ、とさくらも苦笑。真佳が教会本部を抜け出そうとした顛末を、掻い摘みながらトマスらにも話したのだ。真佳の無計画さ具合も勿論全部(マクシミリアヌスと接触したとの話にはヤコブスが途端渋面を作った)。
 本当に無茶をするとさくらも思う。そのくせ覚悟だけは立派なんだから、全く扱いづらいったら。

「アイツは会ったときからずっとそうよ」

 カタリナの右隣に腰掛けた。水分は全て拭きとってはいるものの、やっぱりまだどこか湿っぽい。朝方降り止んだ雨は未だにおいをかき消すことなくさくらの周りを覆っていた。
「そうなんスか?」とトマスが言った。彼とカタリナの向ける視軸が、さくらを追って下降していることに気がついた。

「そうよ。出会ってから今までずっと――、……」

 ふと。
 思い出すことがあった。
 それほど昔のことではない。去年高校で行われた、体育祭でのことである。真佳とさくらがまだ高校一年生を彷徨っていた頃のこと。あの子と共に四人のうちに一人になって、騎馬戦の騎馬を形成したことがあった――



 ぱんっ、
 ――という甲高い打音と伴って相手の帽子が地面に落ちた。前馬の肩に手をつき体勢を整え息を吐く。全く何で自分がこんな位置についているのか甚だ疑問だ。騎馬を形成するのに生徒の意見など採用された覚えが無いので、運が悪かったと言えばそれまでなのだけど。
 視線をゆっくり水平に薙ぐ。赤と白、どちらも戦況は五分五分といったところか。相手チームである白組の大将は未だ幾つかの騎馬に囲まれて待機している。一年生である自分たちにはあまり関係の無いことだ。三年生は三年生で争うもの。事前の作戦会議でも大将は三年に任せるようにとのお達しが下ったし――、……と思った矢先に別のところで騎手を任されていた友人が一人、相手方の大将に突進していた。当然のことながら護衛に阻まれて敢え無く散ったが。何をやっているんだか……。騎馬から降りた赤毛のそいつに呆れ半分の眼差しを。……って、

「ちょ、待てどこに向かうつもりだっ」
「タイショーんとこ! 今護衛の壁が緩んだよ、チャンス!」
「チャンスじゃないわよ! 大将なんか三年に任せて私たちは、」
「さくらさくらちょっと黙って舌噛むよ!」
「ひ――」

 ――前馬が駆ければ後馬もそれに合わせるしかない。鞭など持たぬ騎手が一体何を言おうとも騎馬を御す方策は皆無である。無論目指された場所は白組大将。赤毛の騎手を追い払いに出た二つの馬とは反対方面、大将の左後方辺りに回りこんで突撃をかける。
 突撃。
 誰がって、騎馬でもさくらでも後馬でもない。この四人の中でただ一人、大将を狩る気満々の――
 秋風真佳。
 くそ、誰だ真佳を前馬なんかに選んだ奴は!
 前馬の肩に改めて手をかけた。このまま握り潰さん勢いで無理矢理にでもこいつの進行を止めてもいいが、既に敵陣に入った今歩みを止めるのは愚策であろう。赤毛の奇襲にただ一つ動じなかった馬が遅れてこちらに手を伸ばす。屈んで回避。その隙に真佳を先頭にした騎馬は当たり前のように護衛の前を通り過ぎていた。相手より背の低い者が集まっている騎馬だからか、それとも真佳が先陣を切っているためか。機動力はこちらが上だ。赤毛の騎手を迎え撃った騎馬二つが今更ながらにこちらに気付き地を蹴った――目を眇めて相手側との距離を目測。唾を呑み込む。遠い。いける。
 後ろから追いかけてくる騎馬を蛇行してかわしつつ、大将に――別の方面からやってくる騎馬とこちらとを同時に警戒する白組大将との距離を詰める。後方からはまだ護衛が追ってきている。が、そちらを倒す暇も惜しい。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ大将の側へ左腕を――

「さくら!!」

 がくん、と
 視界が落ちた。馬が崩れた? いや、違う――何の予備動作も無く唐突に、真佳がその場に屈んだのだ。同時に伸ばされていた大将の腕が空を掻く――。舌を打った。ぐずぐずしている時間は無い。相手に生まれた隙を逃さぬよう、伸ばした手をそのまま上方へ跳ね上げる――!
 相手方の帽子のつばに
 指の先が引っかかった。



「――で、何とか大将潰してこちら側が勝ったわけなんだけど」

 頬杖をついた方とは反対側の手で、落ちていた葉っぱをくるくると弄びながらさくらはそこで息を吐いた。一年生の時と言ってもあれは確か六月のことだから、正確には一年前ではなく約十ヶ月ほど前の話になるか。そう考えると言うほど昔のことでも無いように感じるのだから不思議なものだ。
 はー……、と、随分と長い息を吐き出したのはカタリナだった。

「成る程。わざと体勢崩して相手の攻撃を避けさせて、サクラがとどめを刺せるよう計らったってわけか。中々やるじゃないか」

 言葉では褒めているものの表情には呆れが半分混じっている。……当然だ。作戦としてはいいかもしれないが、それを事前に教えてもらうことなく正しく本番で合わさせられたこちらの身にもなって欲しい。片手でいじくっていた葉っぱを適当っぽくそこらに放って、「はぁ」ため息。

「でも勝てたんでしょう? 結果オーライってやつじゃねぇですか」

 それほど絶対勝ちたかった試合でも無かったのだけどね、と心の中で相槌を打つ。手頃なじゃがいもを幾つか抱えたトマスが、さくらの視軸上で立ち上がった。

「騎馬戦かー……。そういう遊びっていうか、競技みたいなのはあたしらの国には無いね。もしかしたら世界にも無いかも。少なくともあたしはやったことないな」
「オレも無ぇですね。戦争のあれを模したもので間違いねぇんなら、大雑把に想像することは出来やすが」

 ……戦争。
 という単語に、瞬間的に目を細めた。
 この国での戦争が事実的に終息したのは今から十八年前のこと。攻めたり攻められたりの無意味な攻防を繰り返した挙句、互いに得るものも無いまま双方戦争資金の枯渇という理由で幕を閉じた。この数日、トマスとグイドからちらほらと漏れる情報をさくらなりに統合した結果がこれだ。
 トマスの方は話を聞く限り見るからに戦争経験者であるし、カタリナは見たところ二十代前半といったところ。二人にとって“戦争”は、さくらや真佳のように“過去の出来事”で済まされるものでは無いだろう。
 息を吐いて、
 腰を上げた。

「トマス。何か手伝えることない?」
「え!?」
「私も手伝う」
「いえいえいえ、そんな! 姫さんは休んでてくだせぇ! これから森を歩くんなら体力は温存しといた方が!」
「温存って、ご飯作るだけでしょうが」
「あたしも手伝うー!」
「姐さん!?」

 カタリナが飛び出した隙にトマスの手元を盗み見る。じゃがいも……の、皮剥きだ。ざっと土を洗い落としたらしいじゃがいもの山と、実をさらけ出した黄金色のじゃがいもの山とがトマスの両脇を陣取っている。ところどころ切り傷やマメが出来たトマスの手は、じゃがいもと包丁とをしかと握りしめていた。

「あ」

 右の山からじゃがいもを一つ手に取った。「あ」の形で口を硬直させるトマスに向かって肩を竦めて、さくらは一人ほくそ笑む。トマスが微妙に視線を外した。
 さて、彼が一体何を作るつもりかは知らないが、左に置かれた黄金色の山を見る限り恐らく皮剥きに法則は無いのだろうと思われる(基本的にそんなものは無いけれど、一応。世界が違うと何があるか分からない)。となると後は包丁があればいいわけだが――確か置いてあったのはこの近くのテントだっけ? 厨房代わりの長卓を始め、調理機材も調理した人間によって場所を変えるため今ひとつ記憶が曖昧だ。――と、

「はいよ、お探しのもの」

 カタリナに包丁を突きつけられた。「……ありがとう」目を瞬かせる時間を置いて、柄を握る。いきなり差し出されたものだからびっくりした。長時間人の手を離れていたが故の、ひんやりとした冷たさが、手のひらにじんわりと吸い付いた。

「それじゃあ三人分! 作りますか!」

 一人熱く弁ずるカタリナのその口上に、トマスの観念のため息が重なった。



昔語り

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