「……いつもこんなごった返してるわけじゃないわよね?」 「勿論。今日は謝肉祭五日目。有難い休日、ダガズの日さ。観光客がこの日にどっと押し寄せてくるのも道理――っとと、サクラ、あたしから離れないようにね!」 人に押されてたたらを踏んで、ついでにサクラの胴を力任せに引き寄せた。きゃっ、という女の子らしい叫び声。流石にびっくりさせただろうけど、手を繋いだくらいじゃこの人ごみの中二人無事に目的地までたどり着ける気がしない。 スカッリア国首都、ペシェチエーロはカタリナが思っていた通り、見事に人で立て込んでいた。子どもが騒ぐ歓声に誰かが誰かを罵る肉声、客引きのドラ声、教会の人間のものであろう警告の怒声――そういった声音があらゆる場所から飛んでくる。寿司詰め状態というのはこういうことを言うのか。人に押される感触に辟易しながらカタリナは思った。見たところ正門付近はどうやらその最たるもので、治安部隊員二人が張り付く門を通り抜けてからこっち、人ごみから出るに出られず流れに押されるがまま、大通りを二人歩かされている現状だ。 横道に入れさえすれば然程苦労することなく店にたどり着けると思うのだが……。 うーんと唸る。 仕方ない。 こんなお上品なやり方じゃどうやら全く埒が明かない。 「サクラ」 彼女の視線がこっちを向いた。 「いいかい、しっかり捕まってるんだ――」 え?という声が聞こえてくるのと彼女を強く抱きかかえるのとが綺麗に一致。足で地面を強く踏み、僅か出来た針穴の隙間目掛けて、 「――よ!!」 弾丸宜しく突っ込んだ。 |
サルタの女 |
「ほんっとうに無茶をする」 「あはは、でもこうして無事に目的地に着いたんだから、結果オーライじゃないか」 「“無事に”ね」 棘の含んだ声音でサクラが言った。まあ確かに、“無事に”とは言い難いか。人ごみに空いた僅かな隙間に二人分の質量を問答無用でねじ込んだものだから、肉の塊に押されもみくちゃにされ服は乱れるわ髪はぐちゃぐちゃだわで半ば這々の体である。でもとりあえずサクラとは離れていないし、傷をつけたわけでもない。うん。よしとする。 目の前の扉を押し開く。キィ、と軋んだ音がした。大通りから外れて小道をうねうねと進んだ先、ここまで観光客がやってくることは稀なので出店が出ている様子もなく、うらぶれた、よく言えばひめやかな空気が停滞している。住宅街の一画であるのでここにも居住者はいるはずなのだが、ここはいつも静かだ。 「はいはい、誰だい? 生憎と今日は休みだよ。謝肉祭にダガズの日とくりゃあ――」 「そう言わないでさ、ちっと仕立ててやってくれよ。古着を着せるには忍びない美人さんだ」 「え、ちょ――」 「誰かと思ったらカタリナじゃないか!」 サクラの台詞をぶった切り女は声を張り上げた。仕立屋の女主人である。薄暗い店内に彼女の姿は望めないが、ばたばた言う音が床から聞こえてくるので大体の距離は把握出来た。見慣れた室内を思い描く。玄関から入ってすぐに正方形になった店があり、急傾斜の階段を上がった先にここの主人の居住区がある。カタリナの声が届いたのなら、少なくとも最初は階段の中途にいたのだろう。 カタリナは異界語を介したが、仕立屋の女主人はスカッリア語を用いた。サクラにはその意味を聞き取ることが出来なかっただろうから、もしかしたら不安に思っていたりするだろうか。……って、そんな柔な子じゃないか。 「ちょっと待っとくれ。今灯りをつけてやる」 女将がそう言った瞬間、篝火が灯るが如くぽっと店内が光の色で満たされた。「ありがと」サクラを引き入れ仕立屋の扉をばたんと閉める。太陽光に慣れた視界に人工的な灯りがスポスターレ(シフト)。入れ替わった光の度合いに軽い目眩を覚えた。昼間であるのにこの一帯は方角の関係で薄暗く、だからここらは人気が少ない。 灯りがついたことで色んなものがカタリナに見えた。色とりどりの生地が詰め込まれた幾つもの棚、真ん中より少し奥の方をどんと占める大きな作業台、そこに乗っかった作業途中の生地や鋏、型紙、裁縫箱――。部屋の隅の壁際には、台帳が置かれたタボリノ(サイドテーブル)がひっそりと沈み込んでいる。 木と石とで作られた、この地方では典型的な家屋だった。柱に彫られているのはスクリーバーの手による魔術式で、これがこの空間の温度を快適に調整してくれている。因みにカタリナらのテンダ(テント)にはそんな機能は一切無い。別に無くても困らないものだからと、ここで経費削減させていただいた。 「さて、で、今日はどんな用向きだい?」 「この子の」サクラの背に軽く手を添え「服を仕立ててやってほしいんだ。三着くらい。デザインは女将に任せた。似合うのを頼むよー。それから、ちょっと事情があってさ。この子の前では女将も異界語で話してくれないか」 「……異界語で?」 と、女将が強く眉根を寄せる。ふくよかな体躯を足首まで隠すブリオーに押し込んだ、おおよそ壮年の女だった。確かな年齢をカタリナは知らない。知ろうと思ったこともない。 浅いため息。女主人の側から零れた空気の音。ひょいとその立派な肩を上げ下げし、次に彼女の唇から吐き出されたのは正確な、異界語。 「ま、いいよ。そう苦労するほどのものでもない。――で、このお嬢さんの服だったね。とんだべっぴんさんじゃないか。ガプサの新しい仲間か何かかい?」 「まあそんなとこ」 曖昧にぼかして頷いた。幾ら女将が相手であれあまり吹聴していい話ではないだろうし。ヤコブスもきっと同じことを言う。 今、カタリナもサクラもガプサの上衣は身に着けていない。あれはガプサに属す人間であることの証なのだ。あんなものを着て町中に出ようものなら一秒と経たず囲まれる。というわけで、カタリナもサクラも今はカミーチェ(シャツ)にパンタローニ(ズボン)という軽装でここまで来ているのだった。 傍らに佇立するサクラに目をやる。……何やら苦い顔を浮かべていた。女将の言う“べっぴんさん”という表現に照れたのかもしれない。と、勝手に解釈しておこう。 「まあ、まあ、そりゃあ頼もしい! あんたんとこの男連中が手ぇ出さないように、しっかり見張っとくんだよ。さ、じゃあお嬢さん。採寸させてもらっていいかい」 「あ、はい。――えーっと、サクラです。サクラ・ヒメカゼ」 「サクラ。変わった名前だねぇ。宜しく。あたしはユリア。ユリア・ガルビンだよ」 「……よろしくお願いします」 変わった名前、というのに二人揃ってぎくりとしたが、幸いなことに女将は見てみぬふりを決め込んでくれたようだった。本当にユリアには頭が上がらない。こうやって深く踏み込まれないで助かったことが、今までに幾つあったことか。 サクラの採寸に取り掛かった女主人から離れて、ぶらりと店の奥にカタリナは足を踏み入れる。勝手知ったる人の家。カタリナが幼少の頃から既に仕立屋を始めていた女将の店は、正しくカタリナにとってはそんな印象。ユリアもこちらを信頼してか、ある程度自由に遊ばせてくれていたものだった。生地を汚したり鋏に手を出したときには――当然というか、流石にこっぴどく怒られたけど。まあそれも昔の話だ。 裁縫箱を意味もなくぱっと開いたとき、女将に声をかけられた。 「三着で足りるのかい?」 ……裁縫箱の蓋を閉める。「あー、うん。あとは古着屋で何とかするよ」多分ヤコブスもそのつもりだし。針箱の端っこを指でなぞりながらちらと思う。女将がくすくす、小さく笑った。 「古着を着せるのは気がとがめるんじゃなかったのかい?」 「……ま、こればっかりは仕方ない。いつかあたしが大金持ちにでもなった暁には、存分に似合いの服を着せてやるよ」 「あっはっは、そりゃ希望の無い話だねぇ!」 「……えーっと、私別に全部古着でも――」 「「駄目だよそれは勿体無い」」 女将と二人綺麗にハモった。 庶民にとっては衣服を古着屋で賄うのが当然のこの時世、けれどもやっぱり限度はある。可愛い女の子にはそれ相応の服装を。でないと折角の素材が勿体無い。――という認識は、疑いようもなく女将とカタリナ共通のものだ。 またしても苦い顔を浮かべるサクラのそれは照れたが故と無断で解釈。同時、巻尺が容器に引っ込む音がパチンと鋭く家屋に響いた。 「はい、終了! お疲れさん」 思う存分背中を叩かれてサクラが小さくけほっと咽た。相変わらず加減が出来ないんだからなあと軽く苦笑。 「ありがと、女将。どれくらいかかる?」 「六日もありゃあ十分さ。出来上がったらいつもの手で送るから、それまで大人しく待ってるんだね。お金はつけといてやるから、余裕が出来たときに持っておいで」 「……恩に着ます」 両手を合わせて南無と拝んだ。確か異世界ではこうやって感謝の気持ちを示すんだったはず。「やめなよぉ」と女将には一笑されたけども(視界の端ではサクラが片眉を上げて奇妙そうな顔をしていた。スカッリア人が南無南無していることがそんなに意外だったんだろうか?)。 「……えーっと」とサクラが一歩、前に出た。 「ユリアさん。私からもお礼を。……良くしてくださってありがとうございます。カタリナも。……ありがとう」 柔く微笑まれ改めて礼を言われたことが何だか妙に気恥ずかしくって、「「なぁに、いいってことさ」」……わざと軽く答えたらまたハモった。サクラにくすりと笑われた。 タボリノ(サイドテーブル)から引っ張りだされた“いつもの手”、もとい四つ折りの紙片を女将の手から貰い受ける。「よし」点頭。羊皮紙のざらついた紙面をすっと一撫で。これで買い物の一つは終わった。残り……えーっと……、三店くらい? 思ったよりもどうやら余裕で終わりそうだ。もしも時間が余ったら、“銀河を散らした虹色ジェラート”でもサクラと一緒に食べようか。 「じゃあ女将、服期待してるからね!」 「よろしくお願いします、ユリアさん」 「あいよ、任せときな!」 貰った紙片をタスカ(ポケット)に強引に押し込みざま、 「さ、次のお店次のお店!」 同行の細腕をひょいと引き、扉の取っ手に手をかけた。 |