――大変なことになってしまった。
 ちくちく痛む米噛みを押さえながらさくらは思った。異世界。ここは異世界。自らガプサ(何かの組織名か?)であると名乗った五人の容姿や言語から日本でないことは勿論推測済みであったが、予想の斜め上をいかれたものだ。

「……」

 右手に持った銃を見下ろした。
 昔日本で使われていた型……だ。銃の種類には疎い方だが、昔に何かの映画で見た覚えがある。シンプルなデザインのオートマチック。弾倉は……
 取り出せなかった。
 取り出す方法が分からなかったというのではない。元々この拳銃に弾倉など作られていない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。代わりに持ち手の部分に魔法陣が描かれていた。複雑な記号を内部で絡み合わせた円形の。おかげでこうして手に持っていてもいやに軽く、銃を扱っているという意識が沸かない。彼ら曰く、その文様は“魔術式”であると言う。魔術を行使して使う武器だ。
 こんな玩具みたいな拳銃が当たり前に普及していて、尚且つそれに命の危機を感じる集団がいるのなら、……相手の精神異常を疑うか、彼らの言う通りここが異世界であることを認めるしかあるまい。
 ――盛大なため息がはあっ、と漏れた。
 顔の半分を手で覆う。
 沈黙の息を吐き出してしみじみと。
 ……大変なことになってしまった。

「サクラー!」

 飛んできた声に顔を上げた。林立する木の幹から背を離して駆け来る女を待ち受ける。高い位置で一つに結われた茶髪がウェーブを保ったままふわふわ揺れて――それに友人を想起した。銃身をスカートのウエスト部分にそっとねじ込む。
 ……真佳。
 あいつ、私がいないことを妙な具合に誤解していないといいけれど。

「ごめんごめん、食糧ちょっと買いすぎちゃったんだね。片付けるのに時間かかっちゃった。トマスらにやらせても良かったんだけど、あいつら変なところに適当に仕舞おうとするから後が困るんだ」

 五人揃いの上衣の裾をはためかせてさくらの目の前で立ち止まり、たははと彼女は蓮っ葉に笑った。困ったように自分の頬を掻きながら。褐色の肌に映える金眼が瞼に隠れて薄くなり、さくらより八センチほど高い位置でまたポニーテールがぴょこんと揺れる。
 カタリナ・モンターニャ、というのが彼女の名前なのだそうだ。五人いる中で唯一の女性。面倒見が良いからかそういう性別の事情故か、いつの間にか組織の中でさくらの世話係というかサポート役みたいな位置付けにされている。彼女自身気にした素振りは無いから、これはこれでいいんだろう。
 ――いえ、と控えめに答えた。少し遅れたくらいで謝罪される云われは無い。そもそもこちらが一方的にお世話になる側なのだから。

「そ。じゃあ改めて、テントまで案内するよ。サクラ」

 にっと笑って、彼女はこっちこっちと手招き二つ。こっち、と言われても……。
 進行方向に視軸を投じる。
 ……森だった。森の奥。ちょっとした広場になっていたこの場所よりも威勢のいい、むき出しの自然が当たり前のようにそこにある。道らしい道は無い。空の高いところでピュー、と一つ鳥が鳴いた。
 この先に立ち入るには、きっと潅木を掻き分けなければならないだろう……と思った矢先にカタリナが片足を突っ込んだ。がさっ、という粗雑な音。がさっ、がさっ。彼女が歩く度に鼓膜を叩く葉擦れの声。
 ……足。カタリナと違ってさくらのそれは腿がむき出しなのだけれど――仕様がない。倣ってそこに分け入った。肌を葉先が擦る感触。一層強い森の芳香がぷんと嗅覚を刺激する。自然の匂いだ。目が眩むような新緑の世界。

「あたしのテントはこの先。ちょっと離れた位置にある。あんたが元の世界に帰れるまで、そこがあんたの家になるからしっかり覚えておいて。ご飯は一日三食、特別な理由が無い限り五人――今は六人か――の全員で食べる。消灯時間は無いけど、ここには野生の動物なんかもいるから夜遅くに出歩くのは関心しないね。それから――」

 木々の隙間を抜けて時折潅木に分け入りながら、カタリナの薄い唇から溢れるマシンガントークを滔々と頭に叩き込んでいるとそこで唐突に言葉が切れた。「……?」疑問符でもって彼女を見上げる。揺れるポニーテールがぐりんと振り切れて、やにわに彼女が顔を振り向けた。そのまま金の双眸でじっとこっちを見下ろして、

「ヤコブスの言ったこと、若しかしてサクラ気にしてる?」
「はい?」

 素っ頓狂な声が出た。言っている意味が分からなかったので。でも、どうやら別の意味に取られたようだ。再び前に向き直って、歩きながらカタリナがからっとした声で言う。

「ごめんねー、あいついっつもあんな感じでさ。突き放してるっていうか、言葉が足りないっていうか。それでいつも誤解されてるんだけど」
「……」

 まあ、友好的な印象は受けなかった。初めに聞いたイタリア語も、言葉の意味は分からなかったがどこかつっけんどんな感じで、――でもこちらが仲間に銃口を向けているのにも構わず親切にも朝食を手渡してくれた。
 グリップを指の腹ですっと撫でる。成り行きでそのまま持ってきてしまった。後でヤコブスに返しておかないと。

「ソウイル教――っていうのが、この国で一番一般的な宗教だって話はしたよね?」
「? ええ」

 じゃりっ、と靴裏に土の感触。先にあった幹に手を添えながら肯定した。ざらっとした木の手触り。
 ソウイル教……ソウイル神とかいう赤ん坊を神として祀っている宗教だと、簡単にヤコブスに説明された。ここに来て与えられた膨大な情報量の中から該当するそれを引っ張りだして再確認。歩を進めることでそっと幹から手を離した。

「あたしらもそのソウイル教の信者ではあるんだけど、教会の掲げるそれとは少し違うんだ。便宜上“旧教”と“新教”って呼ばれる。教会が旧教で、あたしらは新教。同じ神を崇めているのは同じだけど、考え方が違う。教会側は、教会に行って祈ることこそが神への感謝の印と説いているんだけど、あたしらはそうは思わないんだよね。心の奥できちんと神を認識して、教会に行かなくても各々が各々、きちんと感謝の祈りを捧げていたらそれでいいんじゃないかと思ってる。重要なのは心であって、集まることじゃない」

 前方に垂れ下がる細い樹枝を、カタリナが軽く払いのけた。柔らかい枝であるらしくそれは玉暖簾のように苦もなく人に道を譲る。浮き出た根っこに靴裏が触れた。清廉な空気が肺を満たす。

「――まあそんなわけで、あたしらと教会とは相性が悪いのさ。教会は信用ならない……ってヤコブスのあの一言だけどね、人に貴賎をつけないこと、人を欺かないこと、人を殺さないこと――。そういった聖書に出てくる戒律を正義のためだ何だと言ってぶち破る教会は信用ならない、って、つまりはそういう意味だと思うよ」

 略しすぎだと怒られるかもしれないけど、とカタリナは笑った。成る程、宗教上の対立。それでようやっと彼らがこんな森の中に住んでいる理由が分かった。教会が大手を振るう町中でこんな信念を掲げていれば、まず間違いなく異教徒だとかいう理由でしょっ引かれる。自分の信条を護るためにはこうしてひっそり暮らしているしかない。
 ――さくらとしては……。樹枝の暖簾をくぐって先に続く。さくらとしては、人の宗教観に口出しするつもりは無いので正直な話どうでもいい、というのが本音。しかし教会と彼らとの関係はこれからここで生きる上で重要なことではあると思うし、彼らの言い分も辛うじて分からなくも無い。心にしかと留めおく。

「さて! 着いたよ、サクラ!」

 心持ち湿っていた彼女の言が、再度、からっとした調子でもって鼓膜を突いた。
 右側、カタリナが目をやるそこを覗きこむ。……木々に囲まれた開けた場所が見えた。その中央に黄色い天幕。さっき目覚めた広場ほど広くはないが、地表が下草で覆われているので幾分過ごしやすくはありそうだ。テントの広さも申し分ない。ただ――
 空を見る。樹木の葉が遠くで陽光を覆っていた。ピョー、という鳥の音。今の時期――というのは体感温度から春辺りだろうと推測しているが――夜になると、ここらは少し寒いかもしれない。気になるところと言ったらその程度か。

「こっち側は森の奥だし、うちらの中で一人見張り役が外に立つはずだから、教会の人間に見つかることはほとんど無いと思うけど、もし見つかったらどっかに隠れて、暫く出て来ないように。もし見つかったら異世界人であることを話しちまった方が安全かもね」
「……信じてくれないと思うけど」
「あはは、確かに!」

 あっさりと笑い飛ばされた。多分笑う場面ではない。

「さて、じゃ、次の問題はサクラの寝袋とか生活必需品かあ。体格も随分違うし、あたしのを貸すってわけにも――」
「おい」

 割って入った、突き放したような声音に視軸を転じた。
 いつから追って来ていたのやら――ざっくざっくと土を踏みしめ歩いてくる男が約一名。聞き慣れた声に予想していた通り、ガプサの頭領たるヤコブスである。

「おや、こんなところにまで来るとは珍しいね、ヤコブス。言い忘れかい?」
「土産だ」

 恐らくカタリナへの返答ではない言の葉をぶん投げて、それと同時に片手に提げていたものも一緒にぶん投、

「ぷ」

 顔にかかった。思う存分。……眉宇を寄せる。洗剤の澄んだ匂い? 顔面に投げつけられたそれを怪訝に思いつつひっぺがして、
「……」目を瞬かせた。これ、は……

「上衣?」

 紺の布地に金糸の装飾、ここ数分で見慣れた上衣に間違いない。ヤコブスやカタリナが着ているものと同じもの。それがさくらの手中にある。
 ヤコブスが軽く首肯した。

「ガプサの人間である証の上衣だ。ガプサの人間が同族に害を成すことは許されない。それは最大の禁忌とされる。ガプサの中で生活をすると言うのなら、自分の身を護るためにもそれは着ておけ」
「……アンタらの仲間になれ、ということ?」
「形だけだ。同じ教義を掲げようなどとは誰も言わん」
「……そ」

 投げつけられた衝撃で乱れた前髪を整えながら、片手だけで紺の上衣を掲げ持つ。裾の長さは申し分ない。肩幅が少し広すぎる気がするが、手のひらが僅か隠れるくらいでさしたる問題にはならないだろう。使われている材質も思った以上にしっかりしていた。
 ……うん。
 頷く。
 形だけでいいのなら、ならない手は無い気がする。

「ありがとう、ヤコブス。有り難く着させていただく」

 上衣を両腕に抱えて笑顔で。ヤコブスらには本当に世話になっていると思う。本来ならば右も左も分からぬままたった一人孤独に震え、神経を疲弊させても可笑しくなかった状況であろうに。

「と、拳銃。ごめんなさい、持ってっちゃって。すぐ返――」
「いい。やる。持っていろ」

 グリップに手をやった状態のまま眉根を寄せた。……数秒、真意を探るための沈黙を落として結局カタリナに視線をシフト。目が合った彼女はそうと知ると、すぐさまパチンとウインク一つ。

「貰えるんなら貰っちゃったら?」

 ……いいんだろうか。いや、いいんだったら別にいいのだけど。
「じゃあ……貰っておくわ。ありがとう」大人しくグリップから手を離した。心強くはあるけれど、この世界での拳銃の扱い方なんて心得てはいないので後でレクチャーしてもらわなければならない。上衣を抱え直しながらぽつりと思う。
 ヤコブスが上空に視線をやった。瞬き一回分の間隔を開けて、すぐにまたこちらに視軸を戻したけれど。

「……入り用のものもあるんだろう。カタリナと一緒に買い物にでも行ってきたらどうだ。ついでにブランデーでも買ってきてくれたら非常に助かる」
「飲むのかい?」
「今日は飲まん」
「はいはい」と答えたカタリナの声音には少しの苦笑が混じっている。「――まあどの道買うものがあったのは事実だし、行こうかサクラ。今からでも大丈夫?」
「ああ、うん」

 用事なんであるわけがないのだし、今すぐ出かけることになっても勿論何ら問題はない。
 貰った上衣を引き上げて、一つ簡潔に頷いた。



フオリレッジェ、無法者

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