カチャリ、
 という金属質な高音が、朝靄に霞んだ視界を突き刺した。……頬が引きつった。両手を上げる。ゆっくり、ゆっくり、そろそろと。ごくり、と、後ろで誰かが生唾を飲み込んだ音がした。
 十四年式拳銃――。五百年前に異世界からやって来た、日本人という種族が持ってきた武器である。正確に言うならば、それをモデロ(モデル)に作られたこの国ならではの拳銃と言うべきか。普段は仲間の腰に下がっているはずのそれが、何だって彼女の手に……。

「……えーと、」

 口を開いたと同時に銃口の標準がこっちを向いた。途端にどっと冷や汗が出る。冷静且つ無駄の無い動き。どこかのご令嬢かと思ったら……まさか治安部隊員の一人か何かか? 様相に油断して何とも厄介な人間に関わりあいになってしまった。いや、油断したのは断じてフゴの責任ではない。今後ろで自分同様両手を上げている“大鼻”トマスの――。
 こてん、
 と、
 彼女が小首を傾げて見せた。
 茶褐色の髪が一房、艶やかな桜色を孕んだ頬にかかる。……細く開けられた唇の端に引っかかりそうで引っかからない。華奢な顎のラインの下、そのほっそりとした首筋を見て妙な背徳感に襲われた。息を呑む。
 フゴらに銃口を向け、容赦なくこちらを睨み据えている彼女は――
 彼女は、美しかった。
 多分恐らくフゴやトマスよりも年下の、まだ“可愛い”という形容詞がよく似合う年頃なのではないかと思う。美女、と言うには女特有の妖艶さだとか媚びた雰囲気だとか、そういったものが圧倒的に不足していて――けれどもだからこそ、それ故に美しいのだ。単純に。こんな状況にも関わらず思わず見とれてしまうくらいには。
 宵闇を照らす銀月にも似た双眸――未だ加減なくフゴ含めた三人の男を見渡しているその双眸が、ふっ、と、最初に銃口を向けてきた時のそれよりも幾分か柔らかくなった……ような気がした。無上の喜び。……いやいや違うだろう、まだ相手は拳銃を、……拳銃を。
 女の濡れた唇が開かれた。
 ゆっくりと。
 更に頬を引きつらせる。背中にじわりと汗が滲む。――拳銃など見えなかった。もう拳銃など見えなかった。唇から目を離せない。蝶々が美しい花の蜜腺にその口吻を伸ばすかの如く、彼女の桃色の唇に意識と視線が勝手気ままに吸い寄せられ

「何してんのアンタら」
「どわっ」

 唐突に湧いてきた第三者の声に心の臓がひっくり返った――瞬間、猛悪なほど冷たく響く金属音。胸の内側がひやりとする。フゴの斜め後ろ、今来たばかりで状況を把握しきれていない彼女の方へ少女の銃口が向けられていた。彼女は自分の仲間だ。幾ら相手が美人だからって仲間に手を出されるわけには、

「あー」

 フゴの背筋を流れる汗など露知らず、と言うべきか。気の抜けた声は、その銃口を向けられた仲間の口から漏れ出ていた。一体何を悟ったというのか、得心したような、いつものサバサバした語り口調で。……ため息なんか吐き出しつつ。

「アンタら、この子の寝顔でも覗きこんでいたんだろう。目が覚めた瞬間にこんな悪人面した男三人に囲まれてちゃ、そりゃあびっくりするわよねえ。ごめんなさいね、全く」
「ちがっ」

 寝顔を覗きこんでいたのはトマスとグイドで、自分はそれを注意していただけです、誤解です姐さん! ……と、涙ながらに訴えたかったがさっき彼女の唇に見とれてしまった手前言い出せなかった。心の中でかくっと大きく項垂れる。ああ、くそう、結局トマスと同類認定されてしまった。

「おい」

 と今度は反対方向で声がした。ぶっきらぼうだがよく通る男の声。少女の視線が今度は鋭くそちらを睨む。じりっ、と、反射的にか中腰のまま一歩後退したが後ろにはテンダ(テント)が張ってあるので逃げることは出来るまい。……なんだか、いたいけな少女を大勢でいじめてるみたいになってきた。少女の頬を汗が伝う。その汗すらもひたすらに美しかっ……じゃなく――
 ばふん、
 と、妙に鈍い音が唐突に辺りに響いて残響。土煙が風に舞う。細い目をぱちぱちと瞬かせて彼女のすぐ傍を見やると、それまで何も無かった場所に当たり前のように白い鞄がそこにあった。一体何を詰め込んだのか、押し込まれた内容物のせいでそいつはぱんぱんに膨れ上がっている。それを見て、……改めて銃口を向ける彼女の方へ視線をやって、フゴは一人畏敬した。
 体勢が、全く崩れていない。
 普通、一般の人間なんかは突然に何かを投げて寄越された際、投げられたそれを受け取るために反射的に体勢を解いてしまうものだ。戦い慣れしていない人間なんかがよく陥る状況で、それが大きな隙になる。しかし彼女はそうしなかった。ただ横目でちらりと鞄に一瞥を寄越して、それだけ。
 じわりと視軸を水平移動。フゴの右側、少し離れたその場所に男が一人屹立していた。少女に鞄を投げ渡した張本人。緩く癖のある黒髪に金の双眸、オッキアーリ・ディ・プロテッツィオーネ(ゴーグル)を額まで押し上げた、尖った顎に髭を散らす三十代後半の男である。
 その男は、今銃を握っている少女以外の全員と同じ装いに身を包んでいた。
 よれたカミーチャ(シャツ)にパンタローニ(ズボン)、その上から羽織っているのは金の装飾が施された濃紺の上衣――赤と黄で誂えられた揃いの腕章。

「朝飯だ。腹が減っているだろう。貴様がどうしてこの場にいるか話してやる。銃を降ろせ」

 ――ヤコブス・アルベルティ。
 この近辺を根城とする義賊の長。フゴらの大事な首領である。
 床に投げ込まれた鞄を見やる。ヤコブスらが食糧を調達に行ってくる間少女を危険な目に合わせないように、……というのが、フゴらに与えられた指令であった。調達を終えて帰ってきたヤコブスに見せるのがこの一場面とは……情けないったらありゃしない。
 少女が気むずかしげに眉根を寄せた。眉間の間に小さな可愛らしいシワが寄る。あまりいい顔をされなかったことに一瞬心臓がひやりとして、

「……イタリア語(・・・・・)……?」

 少女の唇から紡がれた、薄絹のような滑らかな異界語(・・・)に目を剥いた。



それで貴方は誰ですか?



 サクラ・ヒメカゼ、十七歳。天然ものらしい茶髪に銀の双眸、白いカミーチャ(シャツ)の襟元を、ひだのついた水色のゴンナ(スカート)より濃い色のクラバッタ(ネクタイ)で締め、更にその上から海の色にも似た厚地の上着を着込んでいる。あまり見たことのない、珍しい格好だった。が、整った顔立ちをした人間は何を着ても似合うものであまり奇抜さは感じない。彼女、サクラの通う“紅高等学校”とやらの制服らしい。クラバッタ(ネクタイ)の他にナストロ(リボン)も制服として着用可能。誕生日、四月十七日。血液型、A(アー)。好きな食べ物、クロスタータ(タルトケーキ)。
 ……。
 ……、……恐らく、
 異世界からやって来た。

「――まあ、私の住んでた地域にはこんな広大な森無かったし、そこから既に奇妙なんだからここが日本のどこかだろうがイタリアだろうが異世界だろうが、あまり驚く気はしないけど」

 驚いてください、姐さん……。異世界人たる彼女の方が肝が据わりすぎていてその分こっちが狼狽する。五百年前にこの国にやって来たという伝説の異世界人――それが見知った森の中で気を失っていたなんて、誰が想像出来たであろう。
 スカッリア国首都から平原を挟んで東側。そこを陣取る形で多量の樹木が密集しているのが、この森である。フゴらがテンダ(テント)を張っているのは森の多少奥まったところのため、普段は木々と潅木以外の物質を視界に入れることは殆ど無い。が、ここから少し西に向かって歩いて行けば首都ペシェチエーロの街壁を何メートルか先に望むことが出来るだろう。謝肉祭真っ只中で活気に満ち満ちたざわめきが、時折青空の向こうから漏れ聞こえ落ちて来る。
 今、その森の中で車座になっているのがフゴらだった。ガプサ(義賊が自身らを指していう言葉)紅一点のカタリナを含めフゴら五人は基本的に地べたに腰を下ろすことは慣れっこだが、サクラ相手にそれを強要出来るはずもなく、今彼女の足の下には分厚い毛布が敷かれている。カタリナが引っ張りだしてきてくれたのだ。最初はとても躊躇していたサクラが結局何も言わずに腰を下ろしてくれたのは有りがたかった。

「で」

 と、そのサクラが口火を切った。

「私はこれからどうすればいいの? 異世界人がそんなに貴重なものなら、教会にでも行って申告すればいいのかしら。その方が貴方たちも助かるでしょう、金銭的に」

 ……潔いというか何というか、自分のことであるはずなのにどこか他人ごとのような突き放し方をする。当の本人がこんな風だからこそ、未だ事態を完全に把握出来ていない自分たちが余計に混乱の渦に巻き込まれているのだが……。
 しかし流石は我らが首領と言うべきか。一人、サクラ以外にも冷静に状況把握を済ましてしまった人がいた。

「教会は信用ならない」

 即答。サクラが瞬時に片眉を怪訝げに持ち上げる。

「信用ならない?」
「――金の話をしたな。心配しなくとも今更一人増えたくらいで困るような組織でもない。貴様が教会へ行きたいと言うなら話は別だが、俺はお勧めはしない」
「行くか行かないかの判断材料に、是非とも信用ならない理由を具体的に聞かせていただきたいのだけどね」
「人民が長年溜め込んだ不信の種を一つ一つ、当時の状況を合わせ挙げ連ねろと?」

 サクラが薄くため息を吐いた。「そりゃそうだ」仕方ないとでも言いたげな呟き声。不信感や信頼というものは相手の発言や行動、また自分以外の第三者に対する接し方など、主に長年対象者を観察することで自然と芽生えてくるものだ。場合によっては、背景となる空気感で感じ取るものもある。そういったものを全て語弊なく正確に挙げ連ねるのは難しかろう。それでなくともここには反教会思考を備えた者しかいないのだ。教会を信じるか信じないか、きっとサクラ個人が判断するには材料が足りなさすぎる。

「分かった。いいわ。少なくとも貴方たちは信用してもいい。そう思う。だから、暫くの間は教会へ行くことは無いでしょう。アンタの口ぶりからしてどうやら迷惑にはならないようだし、可能ならここでお世話にならせていただきたいのだけど」
「賢明な判断だ」

 ……混乱している間にいつの間にかそういうことに決まってしまっていた。いや、彼女を預かることについて特に異論は無い。異論は無いのだ。だが何度も言うように状況がだな。
 あまりに鮮やかに展開していく転換についていけず目を瞑った。脳内処理が追いつかない。目眩がしそうだ(周りから糸目だ何だのと言われることが多いため多分誰にも気付かれていないだろうが)。
 ――目を開ける。同類を求めてトマスやグイドに向けて視線を、……目が合った。全員フゴと同じ顔をぶら下げていた。
 内心で細くため息を吐く。
 ……これから、一体どうなるんだろう。

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