煌めく陽光の中、一組の男女の姿が見えた。
 ソウイル教会治安部隊員くらいしか使用する機会もない演習場の一角。春の日差しを反射してキッキ鳥の鳥小屋がきらりと光る。演習に使われることなど殆ど無い場所なだけに、ひっそりと生命力を主張する雑草があちこちにぽつん、ぽつんと生えていた。キッキ鳥を見たか、若しかしたら触らせてもらったであろう彼女がその雑草の脇に立ってしきりに何かを口にしている。
 初めて彼女が魔術を目の当たりにしたその時のことを、ルッソは必然的に思い出していた。こっそり微苦笑。この世界ならではのものを実見して、また興奮に頬を紅潮させまくし立てているのだろう。コンティが彼女にキッキ鳥を見せようなどと考えるとは思えないから、彼女から鳥小屋の存在を尋ねたのだろうか? 演習場出入口付近に立てられた粗末な小屋は、ダヴィドの部屋の窓からもその一端を垣間見ることが出来る。
 治安部隊棟の最東端、廊下の突き当りに当たり前のように風景に馴染む片扉から、ルッソはもう一度中へと足を踏み入れる。ある程度演習場を見渡したがカッラ中佐の姿は見えなかった。そもそもこの時間は演習の時間帯では無いのだから、当たり前と言えば当たり前か。
 執務室にもいなかったし、食堂にもダヴィドの部屋にもいなかった(そもそもマナカが演習場にいるなら、きっと中佐の方もこの時間にダヴィドの部屋に留まったりはしないだろうが)。他に思い当たる場所は全部探したし……。
 ……少しだけ途方に暮れて、
 仕方ないと諦めた。
 中佐の執務室で待たせてもらおう。早々に用事を済ませて、お昼は謝肉祭の出店の品をいただこうと思っていたのだが――どうやらそんな余裕は無いようだ。残念。中佐の執務室につま先を向けながら、緩んだ自分の腹を手で撫でて改めて昼食の代替品を考える。鳥肉、豚肉、牛肉、兎肉……。どれも捨てがたいほど魅力的だ。考えただけで涎が垂れる。

「おーい」

 雷鳴の如く野太い声に呼ばれた気がして首を振り向けた。反射的な動作だ。振り向かずともその声の調子だけで、それが誰なのかルッソには予想がついていた。予想がつくと同時に、……拍子抜けした。

「ルッソ少尉ではないか! どうしたこんな時間にそんな場所で!」

 今まで探し回っていたはずの人物が、野太い腕を頭上でぶんぶん振りながらこっちに向かって歩いて来ていた。



我執その二



「マナカの身分証明書」

 と、カッラ中佐は口にした。
 ルッソが手渡した書類にじっとりと目を凝らし、そこに可笑しな点が一点でも無いかを検める。彼女の今後に関わることなのだから当然だ。

「はい。中佐の捺印をいただければ、その後上級大佐、枢機卿、教皇へと渡されます。無事印をいただければ発行されるのにそう時間はかからないと想います」
「それが彼女の元へ渡れば、多少の困難などは彼女の頭上には降りかからないということだ」

 おどけたように笑っていいながら、カッラ中佐は書類の下部に躊躇なく印判を押した。魔術式に浸して作られた特殊な朱肉で、そうやって押された印影は同一の描いた同一の魔術式に翳されることで仄かな光を放つのだ。公の書類に署名する際には、こういったインキオストゥロ(インク)を使用することが一般的になっている。

「これは、俺が後で上級大佐にお届けしよう」

 そう言って中佐は高価な羊皮紙をくるくると巻き、上等な紐でもって封をする。これが承認されれば――枢機卿から申出されたことなのでまず間違いなく承認されるだろうが――マナカは元の世界へ帰るまでの間、二度と身元を疑われない。教会が彼女を特別大事な人物として公に認める証だからだ。教会の、ひいては国の賓客として、信奉者に厚遇されるようになるのは言うまでもない。
「よろしくお願いします」とルッソは言った。
 異世界人の第一発見者の一人となってから、荷が重すぎるくらいの仕事を任されることが多くなった。面倒だとは思わない。むしろ光栄なことだと思う。それでも一介の少尉がこれほどの任を負わされていいのだろうかと恐縮するし、重責に押しつぶされそうになるのもまた事実。だからこそ、そのうちの一つを代わりに果たしてくれるというカッラ中佐の申し出はとてもありがたいものであった。安堵に吐息。

「マナカは今頃、ダヴィドの元で勉学に励んでおるのだろうな」

 ぎくりとした。

「……ああ……多分、そうなんじゃないでしょうか……」

 ポンと無造作に机上に置かれた書類を見るフリをして視線を逸らし、……実に曖昧に肯定した。
 最後にルッソがマナカを見たとき、彼女は鳥小屋の傍にいたのだ。勉学に励んでいるわけがない。……いやしかし、しかしだ。あれからカッラ中佐の執務室に来るまで時間が経った。その間にダヴィドの元へ帰ったとも言い切れないのではないか。何と言ったっけ、こういうの。確か異世界の言葉でこういう現象を表す言語があったような……。
 執務机を挟んで向かい側、使い古された革張りの回転椅子にどっしり巨体を収めるカッラ中佐を視界の端で盗み見た。視軸をずらす。……、息を吐く。
 直属の上司に嘘を吐いてしまった……。
 マナカの居場所を求めて意気揚々とダヴィドの部屋へ行きかけていた中佐に嘘を吐いた。鳥小屋のところにいることを知っていたのに、彼女はダヴィドの猛指導を受けているところだから邪魔しない方がいいと説き伏せて、そのまま回れ右させて執務室まで連れて来てしまった。……バレようものならどんな怒号が飛び出すことか。考えるだけで胃が痛い。

「勉強熱心なことだ。うんうん。実に好ましい。ああ、俺がスクリーバーであったならば! 彼女のために自ら教鞭をとることも出来ただろうに!」

 言いながら実に悔しそうに握りこぶしを作って見せたりする。……その岩石みたいな男の拳が、僅かばかり震えていた。相当の力が込められているに違いない。もし書類が未だ彼の手にあったなら、きっと今頃しわくちゃのぐちゃぐちゃになっていたんだろう。危なかった……。

「……スクリーバーと言えば」

 呟きが自然口に出ていた。ひっそりと、眉をひそめながら。

「マナカさん……本当に戦うつもりなんでしょうか」

 思い出したのはつい昨日のことである。
 戦う気か、とダヴィドは問うた。必要になれば、と彼女は答えた。断言。そこに迷いや怯えは無い。
 それは純粋な意志だった。戦い抜くんだっていう強い意志。あんな普通の女の子が。守られこそすれ戦ったことなどただの一度も無さそうな、平凡で普通の女の子が。

「……それは、真面目に言うておるのか?」
「はい?」

 心中をさらけ出すように「あんな普通の女の子が」、と切り出したところでついと中佐に止められた。目をぱちくりと瞬かせる。

「……君には普通の女性に見えるのか。あの子が」
「……普通の子でしょう?」

 と言うと、カッラ中佐は実に闊達に笑うのだった。嫌味は無く、小馬鹿にした風も無い。かなり無茶苦茶な性格をしていながら多くの下役に好かれるのは、多分こういった理由からだ。同じ理由で上役からは基本的にあまりいい顔をされていないと聞く。

「あいつはな、ルッソ少尉。強いぞ」

 どっしりした執務机に右半身を乗り出して言う。髭に埋もれた口端をつり上げて、カッラ中佐はにやりと笑った。……苦笑。

「そんな馬鹿な」
「ははは、なら賭けるか? 俺はどれだけ賭けてもいいぞお! 何せ勝つからな!」

 上半身を右へ左へまた右へ。準備体操でもしているかのように捻りながら、余裕綽々の笑顔で告げた。あまり表情は当てにならないけれど。何せ中佐ときたら、どこからどう見ても負けしか見えない賭け事にだって勇み立って突進していく人だから。
 マナカの風采を思い描いてみる。
 髪は長くて、女の子らしくペルマネンテ(パーマ)をかけているのかと思ったらどうやら生まれつきの癖毛をそのまま背中に流している。全体的にほっそりした印象。肉付きは薄い。あまり外には出ていないのか肌の色は黄みのかった白をしていた――世界規模で見れば珍しくは無いけれどこの国では少し珍しい黄色人種。赤目。宝石みたいな深みのある、吸い込まれそうな綺麗な目。顔の造作は……多分普通。しかし肌の色と独特の赤い瞳のせいで、彼女の周囲には常にどこにも属さない無国籍の風が吹きつけているようにルッソには思える。
 どこにも属さない。
 自分で思考しておきながら、その言葉が妙に的を射ているような気がして胸が痛んだ。
 突然に沈黙したことを悩んでいると取られたか、カッラ中佐が呵呵と笑った。

「まあいずれ分かる。多分彼女は、戦わずにはいられんよ。戦とは無縁で生きられん、そういう目をしているからな」

 言いながら、中佐が自分の目の縁をぽんと叩いた。彼の分厚い中指の腹が、縁取られた丸い目玉を指し示す。森林のように深い緑目。
 ……それは……
 嫌だな、とルッソは思った。
 魔術を目の当たりにした瞬間のきらきらした赤い瞳、鳥小屋で見かけた気負いの無い純粋な笑顔、この世界の料理を口にした途端に咲いた喜色の横顔――。彼女に似合うのはそういうもので、戦に身を投じると告げた時の諦観にも似た淋しげな微笑(・・・・・・・・・・・・)は彼女にはちっとも似合わない。
 最初にこの世界に来たときもそうだった。ルッソとコンティが彼女を部屋へ案内した時の話だ。別れ際に見せた、あの何かを押し隠したようなふやけた笑い。――ただ流されるまま生きているかのように。どこにも属さず、誰をも拒まず。どれだけ心が疲れていようと、どれだけ一人でいたかろうとも、内情をひた隠しにしてただふやけた顔で笑うのだ。多分さっき、あのままカッラ中佐と出会うことになろうとも。
 流されたまま淋しげに微笑う彼女のことがよく分からなかった。
 もっと笑って欲しいと思った。
 無邪気な顔で、無邪気な声で。
 だから彼女が戦場に身を投じるのは、心の底から嫌だと思った。

「……あまり歓迎したくない……ですね」

 本心を口にする。
 カッラ中佐は白い歯をむき出しにして笑った。

「そりゃそうだとも! まああれだ。俺たちは何も出来んが、しかしあの子が戦わずに済むように率先して護ってやることは出来る。護ってやればいい。大事なら。そうだとも!」

 言様拳を振り回す。剣でも振っているつもりなのかもしれない。中佐の持つあの大剣を。回転椅子が中佐の体重に耐え切れないままキィという甲高い悲鳴を上げた。
 ……護ることが出来ればいいと思う。
 戦争すら体験していない自分の力で護れるかどうか不明なところだけれど。
 目を瞑って、
 開ける。
 窓の外には演習場の豊かな大地と真っ青な空が広がっている。
 彼女は今、笑っているだろうか。

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