「あ、コンティだ」

 と、声をかけられたことに驚いた。まさか名前を覚えてくれているなどとは思ってもいなかったし、名前を覚えられるほど彼女の人生に貢献したともコンティは思っていなかったので。だから今、彼女が自分の方へちょこちょこと小走りに向かってくるのも不思議なくらいだ。

「アキカゼさん。一日ぶりですね。どうされました?」

 言いながら通行の邪魔にならないよう廊下の脇にずれている。ソウイル教会本部、翼棟に挟まれたイングレッソ(玄関ホール)は謝肉祭が開かれるこの時期、特に人の出入りが激しい。
 異界から来た彼女もこちらへやって来るまでに何度も立ち止まらねばならなかった。メルレット(レース)のあしらわれた白い長衣は彼女にはどうやら動きにくそうだ。彼女が近くに来たときに漸く気がついたが、長い癖のある髪をラート(サイド)だけ後ろに結っている。コーダ・ディ・カヴァッロ(ポニーテール)の亜種であろうか。こちらではあまり見ない髪型だ。異世界ではこういうものが流行っているのかと思うと興味深い。

「いやあ、どうされたというか」
「? はっきり仰ってくれて構いませんよ。貴方のお手伝いを第一にと申し付けられておりますので」
「うん……んー……では、えーっと、暇だったらちょっと買い物に連れて行ってくれませんか?」
「何か入用のものでも?」
「入用とゆーかー……ダヴィドがね?」

 ああ、とそこで合点がいった。
 ダヴィド・エヴァンジェリスティ。彼が現在、彼女に魔術を教えているのだということはルッソ少尉から聞いている。そのダヴィドから買い出しでも頼まれたのだろう。人使いの荒い人だから。
 脇に挟んだ大判の茶封筒を軽く振って示した。

「代わりに買って参りましょうか。丁度外へ郵便を出しに行く用事もあります」
「え! や、いいよ、私が頼まれたことだから。私も行く」
「しかしそうなると郵便局まで寄り道をしなければなりませんよ」
「うん、いいんだ。行ってみたいから」

 揺るがない真摯な赤目で頷かれて、思わず笑みがこぼれてしまった。まるで初めてのお使いを頼まれた子どものような、そんな楽しそうな反応をする。

「……? 何か……?」
「いえ、何でも。畏まりました。では郵便局へ行く道すがら、エヴァンジェリスティさんに頼まれた品物を確認することに致しましょう」

 軍服の襟元を緩めながらの提案に、「うん!」異世界からやって来た彼女は花が咲くような笑顔でもって、元気に、力強く頷いた。



我執その一



 そういえば、首都であるペシェチエーロの街、つまり教会本部の外にこうして彼女が正式に足を踏み入れるのはこれが初めてのことではなかろうか。そう思うと妙に緊張する。
 カッラ中佐に見咎められたら、自分が最初に彼女を連れ出したかったのにと不平を漏らされるかもしれない。中佐は必要以上に異世界人に対して興味津々だ。この世界の出来事全てを彼女に見せて是非とも反応を楽しみたい!と拳を握りしめて言いだしそうなくらいには。彼女の正体がバレればマリピエロ准尉だってそう言うだろう。それだけこの国での異世界人の価値はとても高い。

「えぇーっと、錫、鉛、タ……タガロッツォ、魔術素、ハルモングリの黒焼き十頭、あと煙草とコーヒーの粉一瓶」
「それで全部ですか?」

 少々つっかえつっかえに書付を読み上げるアキカゼの横を歩きながら、コンティが問うた。薄っぺらい一枚の紙片を口元に押し当てて「うん」と彼女は肯定する。大きな赤い目がじっとこっちを見上げている。
 ……ハルモングリの黒焼き……。
 頬が引きつりそうになるのを何とか堪えながら考えた。よもやエヴァンジェリスティが、いや、この世界の人間が、何の耐性も無い女性にそれを買いに行かせようとは……。魔術なんてもうやらないとわんわん泣かれても仕方がなかろうに。或いはそれを狙っているのか?

「コンティー? どしたー?」

 目の前でひらひらと手を振られた。

「ああ、いえ。……あの、やっぱり私が買って参りましょうか」
「え、何で。何が売られてるとか、色々見たいよ。お店とか街とか」
「……そうですか……。ではええと、魔術素から参りましょう」
「うん」

 屈託なく頷かれてしまった。
 ……まあ、しかしだ。流石のエヴァンジェリスティと言えども、何の説明も無く彼女にお使いを頼んだわけでもあるまい。簡単に説明して、それでアキカゼも納得してのことなのだろう。冷静に考えてそちらの方が可能性は高い。納得の上でならコンティが口出しするのは野暮というものだ。
 紙片を持ったのとは別の手で、アキカゼが服の袖をちょんちょんと引っ張った。

「ねぇ、コンティ、魔術素ってどういうもの?」

 わくわくを隠し切れないきらきらした目で。
 …………なっ……とく……?

「まさかアキカゼさん、エヴァンジェリスティさんから何も……聞いていませんか?」
「何か粉ってゆーのは知ってるよ。丸薬っぽい奴でー、潰すと粉になるんでしょ。でも何に使われるのかは聞いてない」
「ああ……」

 形状が分かっているのなら、まあ。

「魔術素は主にマギスクリーバーが魔術道具作成のために使用する薬品ですね。物質に描いた魔術式に隙間なく塗り込めることで、長期間そこに微量の魔力を留めておくことが出来ます。魔術道具を私たちが正しく発動させるためには、作成の段階でスクリーバーの魔力を入れてもらう必要がありますから、これはとても必要な薬品になります」
「ほー……。描いて終わりじゃないんだね」
「それはまあ」

 素直に感嘆する彼女にまた微笑が漏れた。何にでも興味を持って何にでも感動して……何と微笑ましいことか。
 ペシェチエーロは中央にある教会前広場を中心として、幾つもの路地が網目状に広がる都市である。周囲を高い壁にぐるりと取り囲まれた街の南、正門から教会本部までの道が大通りを呼ばれる道で、謝肉祭が開かれるこの時期、教会の紋章や首都旗が屋根から屋根へ渡され街全体を飾られる。この大通りはパレードで使用するため出店を出しているところは無いが、その分客引きには皆気合が入っているように見えた。元々大通り沿いには宿や居酒屋、薬草屋などが集まりやすい傾向にあるのでこれは当然のこととも言える。
 その中の魔術道具店が一先ずの目的地だ。魔力を留めておける魔術素は一般人にも需要がある代物なので、大きな商店では取り扱っていることも多い。コンティも購入したことがあるのでこれは確かだ。売り切れてさえいなければ。

「魔術素、錫・鉛、煙草、カフェ――失礼――コーヒー粉、タガロッツォ・ハルモングリの黒焼き……この順番で回りましょう」

 ハンモルグリの黒焼きを見た後に飲食店には行きたくないので。

「りょーかーっい」

 コンティが抱える内心の事情など露知らず、アキカゼがとても軽快に返事した。


■ □ ■


「了解じゃねぇえ……」

 地獄の底から這い上がってでもきそうな声でアキカゼがぼそりと呟いた。大通りから外れた、出店がぎゅうぎゅうに押し込められた細い路地。その隅の方の、あまり人の邪魔にならないところでわざわざちんまりと蹲って。

「焦げてるはずなのにぎょろってして、もうそれだけで軽く引くのに硬直してるくせにその実触ったらぶよぶよだわ何か手に黒いの付くわっ!! 何で最初に言ってくんなかったのよう!」
「既にご存知のものと思ってましたので……」

 ちくちくと痛む米噛みを抑えながら何とかコンティはそう言った。膝の上に交差させた腕に顔を埋めた彼女がいつその頬に涙を流すものかとはらはらしながら。
 ハルモングリの黒焼き。
 その名の通りハルモングリという生物をそのまま黒く焦げるまで焼いたものだ。都市近郊の木々によく群れで生息している。捕まえるのが容易なため非常に安価。また、込める魔力をそこそこのリベロ(レベル)増大してくれる補助の役割を持つためスクリーバーで愛用するものは多い。日用品を作るに当たって欠かせない材料と言っても過言では無かろう。毒々しい黄色をしており平べったく、四本足の二尾。目玉は六つ。その昔、やって来た異世界人が「ヤモリに似ている」と発言したことが現在にも書物として残っている。
 生きている姿も中々女性には受け入れられていない生物なのだが、より一層嫌われているのが……黒焼きにした姿である。まず、ハルモングリの性質なのか、どれだけ焼こうとも目玉がその影響を受けることは無い。どころか縦に裂けた黒目に質量が集まるため動かすたびに重力にしたがって黒目が動くため、死んでいるはずなのに見られているようで落ち着かないと証言する者非常に多数。いざ触れてみると、確かに焦げて硬直しているはずであるのに表面はまるで腐乱した死体のよう。一度、食べようとした猛者も過去にあったらしいのだが、肉がパサパサしすぎて口中の水分は全て吸い取られるわ中々噛み切れないわ飲み込めばゴンマ(ゴム)のような味をしていたらしい。結果、現代では魔術道具の材料にしか使われなくなった。
 以上。これがハルモングリの詳細である。
 ……彼女が心的外傷を植え付けられるのも至極当然。エヴァンジェリスティの狙いが彼女を魔術から遠ざけることで無いのなら、気遣いの出来ない男という烙印を押されても文句は言えまい。魔術道具店に入っては「巨大な高級時計店みたい」だとはしゃぎ、金物屋では狭い店内にぎゅっとつめ込まれたむき出しの金属類に大いに驚き煙草屋で多種多様な煙草の種類に目を丸くし、飲食物取扱店で見たことのない食品の味を真剣に想像したりして見せたアキカゼの姿が――、影も形も見えなくなってしまった。
 こんなことならきちんとアキカゼに確認を取っておくべきだった。確認を取らなかったのはコンティの落ち度なので、少し責任を感じたりもする。しかし落ち込む女性の慰め方などコンティに分かるはずもなく。

「……アキカゼさん、大丈夫ですか? どこかで休んで行かれますか?」

 こう声をかけるのがコンティには精一杯。

「んーーんんんんうー……」
「……魔術を習うの、やめてもいいんですよ?」

 ばっ、
 とアキカゼが頭をやにわに持ち上げた。緩く波打つ黒髪が日陰の中ふわりと一瞬宙に浮き、「え! 何で!?」長髪が身体のリネア(ライン)に沿う前に、喧騒が遠く感じるこの場所で焦ったように彼女は叫んだ。

「ハルモングリの黒焼きは魔術素と同じく魔術道具に塗り込められることが多いですから。もしや嫌になられたのではと」
「……、えー……、やー……、……大丈夫! 大丈夫! 私別にそんな虫とか爬虫類苦手ってわけじゃないし! ただあの、はるもんぐりの目があのあれだったからあれだったんだよだから私は決してだね!」
「……目が泳いでいるように見えるんですが……」

 呆れて、それからふいに失笑した。
 意思の強い子だと思ってはいたが、やはりというか何というか……これくらいでは彼女は魔術から、意地でも離れる気にはならないようだ。それが何故か少し誇らしい。なにゆえ魔術に執着するのか――単に魔術に惹かれたからか、それとも元の世界に帰るためか? コンティには当然分かるはずもあるまいが、しかし今、その答えは別にどちらでもいいような気もする。
 煉瓦道の砂埃を擦りながら、軍靴の踵をぴっ、と合わせた。

「ではアキカゼさん――大事無いのでしたら、エヴァンジェリスティさんの部屋へ行かれる前に是非付き合っていただきたい場所があるのですが。……お付き合いいただけますでしょうか」
「……へ?」

 眼窩でぐるぐる渦巻いていた赤目が、驚いたようにこちらを向いた。


■ □ ■


「をを……っ!」

 胸中に湧きでた興奮の感情を抽出し、更に濾過器にかけて濾し取ったみたいな、そんな、感情がぎゅっと詰め込まれた二音の声をアキカゼは絞りだすように口にした。
 ソウイル教会本部の裏側、治安部隊員が日夜使用している演習場――その唯一の出入り口に近いところに、小ぢんまりした小屋がある。幅、横列する軍人の人数で言うところの一・五人分、奥行きが幅と同等の換算をして二・五人分と言ったところ。スカッリア国成人男子の平均身長、一七二・六センチメートルが丁度三角屋根の頂点に達するため、大抵の人間が腰を屈めなければ中に入ることは出来ない。
 その小屋の中に、鳥がいた。

「一般に、キッキ鳥と呼ばれている鳥です」
「キッキ鳥」

 きらきらした目でアキカゼがその名を復唱した。
 雄雌によって変わってくるが、鳥小屋に数羽入れられている雌のキッキ鳥は体長約五十センチ。キッキ、キッキと鳴きながら鱗に覆われた小さな足でひょこひょこと歩くことからこの名がついた。鳥肉として食べるのにも最適だが、彼女らが産む卵の方もこれまた美味い。翼が小さいので飛ぶことは出来ず、体は羽毛ではなく木綿のような毛で覆われている。「ヒヨコのまま大人になったニワトリのようだ」とは、五百年前にやってきた異世界人の言である。
 ヒヨコというのは雛のことだそうだ。雛というのは往々にして可愛らしいもので、つまりこのキッキ鳥――
 貴婦人の愛玩用になるくらいに、愛くるしい。

「触っても大丈夫ですよ」
「えっ!」

 藁の上に大きなお尻をどっしり押し込んだキッキ鳥の丁度真ん前、しゃがみこんでじっとその様子を伺っていたアキカゼがぱっとこっちを振り向いた。眼窩に銀河でも飼っているんじゃないかと思えるくらいきらびやかな赤い目。両手を肩の高さに持ち上げて触りたそうにそわそわしていたことから、きっとその言葉を待っていたんじゃないかと推理したのだ。

「人馴れしやすい生物なので噛み付きませんし、怒られません」
「うおお……っ。マジか……っ」

 言って、彼女はキッキ鳥に視線を戻した。……間。距離を、肉体の距離というよりは精神の距離を測っているかのような少しの間。じいっとキッキ鳥に視線を注いで、
 少し。
 躊躇ったように左手を伸ばした。
 半分距離を詰めてから一度、一センチほど手を引っ込めて――
 ……ゆっくりと、鳥の真っ白な毛に触れる。丸まった毛先のほんの先に触れただけ。それから、もう少し深く。伺うようにキッキ鳥と視線を合わせて。
 ――もふっ、
 と、
 アキカゼの左手がキッキ鳥の毛に埋まった。

「――っ、〜〜っくひょぅあ……っ!!」

 く、くひょぅあ……? 異星語だろうか。日本語にそんな単語は無かったはずだが。
 困惑するコンティを他所に、アキカゼは尚も「ひあー、ひあー」などと呻きながらキッキ鳥の毛に包まれた表皮をぺたぺたぺたぺた撫でていた。木綿に似た毛がアキカゼの手のひら全体を覆う。その感触を感じる度に、だろうか。アキカゼの眼窩に収まり切らなくなったらしい星屑が、彼女の周囲を踊り周って飛び跳ねる。
 ……思った以上の高揚具合に――白状しよう――少しばかりたじろいだ。いや、狙い通りではある……のだが。

「あ」

 ――という小さな一音が、口の中から転がり出た。
 小さすぎて、アキカゼの耳にはどうやら届かなかったらしい。彼女は相変わらずその双眸をきらきらさせて、キッキ鳥に掛かり切っている。元々細いキッキ鳥の目が一層細められているような……。
 良かった。
 嬉しそうで。

「アキカゼさん、その鳥の下、手を突っ込んでみてください」
「ほ?」

 きょとんとした顔でこっちを見て、それからキッキ鳥を見下ろした。眠っているのかそうでないのかも分からぬ細目はアキカゼが来る前と同じ方向に固定されていて、アキカゼの顔を見返したりはしなかった。少しの逡巡。後に、えいとばかりアキカゼがキッキ鳥の真下に右手を突っ込んだ。「を」触れたものに対する一音。こっちを見上げて、確認するように。

「卵だ!」

 卵。そう、それは卵だった。
 キッキ鳥は卵を産む。故に彼女が卵を温めていたのは当たり前である。しかし、よく今まで収穫されずに残っていたものだとコンティは思った。通常、治安部隊員の誰かが朝に回収にやってくるのだが――。……ああそうか、と合点がいった。

「このキッキ鳥は卵を作るのに二十五時間必要な鳥ですね。卵を収穫出来る時間が他の鳥とずれたので、きっと収穫し忘れたのでしょう」

 キッキ鳥にも卵を作れる時間に個人差がある。この小屋の鳥は殆どが二十四時間で卵を産むが、確か一、二羽くらいは二十五時間周期の者もいたはずだ。ちらりと空を仰ぎみた。真っ青な空。確か今は正午くらいだったか。となると、明日から暫くはこの鳥から卵を得ることは出来ないだろう。休みの期間を置いて、また早朝に卵を産むようになる。二十五時間の周期を何日か繰り返して、産む時間が昼になったらまた休む。そういうシクロ(サイクル)だ。

「取っていいの?」
「いいですよ」

 キッキ鳥の寝床に手を突っ込んだまま、若干頬を上気させて尋ねてくるアキカゼにコンティは気軽に請け合った。若干迷惑そうな顔をしてはいるが、当のキッキ鳥はそれでも意固地に……多分、眠ろうとしている。元々人にはよく慣れる鳥だ。
 そっ……、
 と。
 氷華でも扱うような丁寧さで、彼女はそれを手中にした。柔らかな両手で作り上げられた窪みの中、傷一つ無い卵が一箇。天鵝絨に覆われた宝玉を想起。

「温かい」

 ぽつりと彼女が呟いた。大事に大事にキッキ鳥の卵を扱いながら、ちらりと撫でてみたり手の中で二ミリほど転がしてみたり。非常に熱心にその卵を――毎日のように産み落とされる、日常的な白い物体を真剣に真剣に見つめていた。
 ……アキカゼさんらしい反応だ、と思った。
 そこに世界の壁は無い。

「アキカゼさん。その卵、渡していただいても構いませんか」

 そう問うと、彼女はきょとんとした顔をしながらも素直にそれを手渡してくれた。……少し意外だ。何となく、もっと出し惜しみするものかと思っていた。
 キッキ鳥からアキカゼへ、アキカゼから自分へと移った卵を片手の上でころりと転がす。産みたてだった。そりゃあ温かいはずである。何て運の良い人だろう。

「この卵、後で料理長に渡しておきましょう。アキカゼさんのお食事に使うようにと」
「……ほ?」

 目を二回、ぱちぱちさせて。
 その様を見てコンティは薄っすらと、少しだけ、微笑った。

「昼食はカッラ中佐よりも一品多くなると思われます。他の人たちには内緒ですよ」

 春の穏やかな風がすっと後方から吹きつけて、小屋の中でしゃがみ込んだままの彼女の長髪をざっと撫でた。癖を帯びたそのたおやかな黒髪が、彼女の細い肢体に沿うのに十分なほどの間を置いて。

「ふぉ」

 彼女が言った。

「ふぉおっ、ひゃあっ……! うわあああ、マジか! わー、わー、産みたての卵とか初めて食べる! ありがとー!!」
「お礼を言われるようなことでは。これを収穫したのは貴方ですし」

 それに、実は礼なら既に貰っていた。
 彼女の笑顔、彼女の偽りない反応、飾り気の無い言葉。ハルモングリの黒焼きを見てから久しく見られなかった太陽がそこにある。そのことに大いに安堵した。いつか帰ってしまうのならば――それは仕方のないことだ。ここは彼女の家では無いのだから――せめてその間だけでも、笑顔を振りまき良い感情で溢れた思い出を持っていて欲しい。元の世界に帰った時、「あの世界には二度と行きたくない」などとは、彼女には思わないでいて欲しかったから。そこのところは、カッラ中佐やルッソ少尉と同意見であるとコンティ自身も認めよう。
 それはきっと、これ以上なく専横なことなのだろうけれど――。

 TOP 

inserted by FC2 system