聖書における虹の扱いは単なる大気中の水滴によって太陽・月の光が反射、屈折される際に起こる光学現象などではない。それよりももっと単純で、そして簡単だ。ソウイル教会が掲げる聖典の中から、一節抜き出してみよう。と、その時のクリスティアヌスはそう言って、革表紙の分厚い本を開いて見せた。
「わたしはここにあなた方との繋がりを置く。わたしがあなた方へ何らかの働きかけをする場合、必ずこの五色の虹が天と地とを繋ぐであろう。これはわたしとあなた方とが、繋がっている証である」
事実これはその通りで、聖書に書かれた後の出来事でも神から人に何らかの働きかけをした場合、必ずや五色の虹が曇天を晴天を宵闇を駆けていたと書かれている。
病気で苦しんでいる者の元へ薬草が届けられたとき。
民を苦しめる暴君に神の裁きを下したとき。
そして、神がこの世に神の遣いをお与えになったとき……。
神の遣い。
神の言葉を民に伝え、神の示した道に従って民を救う者。
それが私だ。
と、クリスティアヌスは目の前の民に向かってそう言った。
今から大凡数年前の出来事である。