プァー!
 というひび割れた音の塊を背後からいきなり突き刺されて、流石にびくりと心臓が跳ねた。どんどんカンカン、太鼓とシンバルを鳴らした団体が列を乱しながらラッパの後に続いて歩く。さくらの真横を通るとき、最後尾の縦笛がぱちんとウインクしていきやがった。ウインクって。
 人ごみに飲み込まれていく団体の背中を呆れ半分で見送った。暖色を基調としたパッチワークで縫われた派手な服。全員同じ色合いで揃えてあるため不思議と統一感があって、行進はばらばらなのにちぐはぐな感じは少しもしない。楽譜も秩序も無い楽器の演奏がどんどん前方に遠ざかる。
 ……音楽隊。
 人騒がせな。

「もっと驚くかと思ったんだがな」
「……来ていたことを知ってたんなら事前に教えていただけると嬉しかったのだけど」
「あそこまで積極的に絡みに行くとは思わなかった」

 ……息を吐いた。こっそりと。
 斜め前を歩くヤコブスの背中がいつにもまして飄然としているような。ブツ切れの台詞を自分目線で放り投げていくのがデフォルトなこの男の心中を推察するのは至難の業だが、もしかして面白がっているんだろうか。だとしたら非常に複雑だ。
 謝肉祭六日目のペシェチエーロは、昨日に負けず劣らず賑やかだった。祭りのメインたるパレードが昨夜に行われたと言うから、それで少しは観光客が減っているものと予想していたらとんでもない。話によるとパレードが行われるのはダガズの日から最終日までの三日間。それぞれ違ったラインアップで展開され、最終日になるにつれてそのクオリティはぐんと引き上げられていくらしい。そりゃ人も増すわけだ。ガプサの上衣に包まれていないヤコブスの肩口を見失わないように注視しておく。
 ……ふと思いついたことがあった。

「この国、交通手段は何なの?」

 視軸を上げて問いかける。自動車とか自転車とか、そういった類のものは昨日ペシェチエーロに来たときには全く見受けられなかった。祭りの最中だからだろうかとも思ったが、ガプサが住まう森からペシェチエーロまでかなりの距離があるのにここまでの移動手段と言えば昨日も今日も徒歩である。これだけの観光客がいるのならそれなりの交通手段はあるはずだが……。

「蒸気自動車に馬車、と、答えるべきだろうな」

 言いながらガプサの首領は唇の端に一本煙草を引っかけた。黒一色の煙草。見たことのないメーカー名が印刷された煙草箱はくしゃくしゃで、日頃どういう扱いを受けているのか推理するのは造作も無い。そいつを強引に押しこむように尻ポケットに仕舞いこみ、不明瞭な声音でもってヤコブスは言葉を継いでいく。

「と言っても、どちらも一般市民が個人で所有するには宝の持ち腐れすぎる代物だ。貴族なら蒸気自動車くらい持っていても不思議じゃないが、それも数は多く無い。蒸気自動車で来た人間よりは、隣町から出た大型の幌馬車に乗ってここまで来た人間の方が多いだろうな」

 煙草の先端に火がついた。甘い香りがぷんとする。チョコレートみたいな甘い香り。ところどころでヤコブスから香っていたのはこれだったのか。今まで吸っているのを見たことが無かったから分からなかった。
 こてん、と、小首を傾げた。
 テントからここまで歩いてくる時にも思ったけれど――

「やっぱり魔術は使わないのね」
「魔術?」
「そ。てっきりそれで賄っているものだと思ってた」

 ――ああ、とヤコブスが小さく呻いた。吐息するみたいな声だった。

「転移魔術か。あるにはあるが、これもあまり個人が容易く使えるものではないな」

 咥え煙草の不明瞭な声を聞きながら、前方から歩いてくる通行人を歩いて避けた。片側のサイドヘアーを耳に引っ掛けヤコブスの声に意識を集中。人ごみの雑音が多すぎてともすると聞き逃してしまいそうだ。ヤコブスが息を吐く。副流煙が風に舞う。

「――例えば対象を地点Aから地点Bへ移動させたいとする。普通の手段で移動させるのなら方法はいくらでもあるが、移動に魔術を用いる場合、方法はたった一つに絞られる――全く同一の人物が描いた、二つの魔術式を使用しての方法だ。これら魔術式は出発点、つまり地点Aと目的地、つまり地点Bに設置され、地点Aで第二級魔力保持者が魔術を行使することで初めて魔術式が起動する。対象が瞬きしたときにはそこは既に地点Bだろう。これが魔術を行使した移動方法」

 頭の中で図式を開いて想像してみたが何のことはない。魔術式を介した瞬間移動だ。普通に便利そうではあるけれど――、
 思考を止めて眉根を寄せた。
 便利そうではあるけれど、ヤコブスの言うこれはただの例であり、日常生活に当てはめて考えるとちょっと面倒なことになる。口を開いた。

「個人で使用するとして、地点Aと地点Bに誰が転移魔術式を設置するか……って問題か」
「そういうことだ。と言っても、ペシェチエーロは首都だからな。教会が手を回して、それなりに大きな都市との行き来は魔術で出来るようにしているから、それで来た人間も少なくはないだろう。が、隣町のような田舎に設置するほどの余裕はない。魔術式を生成出来るマギスクリーバーの数が少ないためだ」
「魔術式の片方を家、つまり出発点に置いて、もう片方を持ち歩くことで帰る時に地点Bから地点Aに魔術で移動することは可能?」
「それなら。しかしまあ、ここに来ている観光客でそんな手段を用いて訪れた輩はいないだろう。公共の場に教会の許可無く転移魔術式を設置することは禁じられているし、それに何より、そういった魔術式は大層値が張る」

 ……そう言われてしまえば身も蓋もない。成る程、魔術があると言ったって、そうそう何でも出来るようになるわけでは無いということか、とさくらは一人苦笑した。スクリーバーが多くなればそういう類の物価も安くなるんだが、とは彼の言だ。

「さて」

 ヤコブスがついと立ち止まった。足元の路面を示して彼が言う。

「地点B。目的地だ」

 ――そこは大通りの一画だった。
 キープアウトテープが張られているわけでも立入禁止の区切りがなされているわけでもない、がやがやと雑音を吐き出す人波が当たり前のように通り過ぎる大通り。正門から教会までを直線で結ぶこの目抜き通りを二分割するとするならば、多分ここは“教会側に限りなく近い正門側”になるのだろう。計測はさくらの体感によるため当然のこと正確では無い。
 ちらりと辺りを見回した。右にうらぶれた細い路地、反対側には煉瓦造りの大きな家――家の方がさくらに近い。大路の左側をずっと歩いて来たためだ。多分、そうなるように歩かされていた(・・・・・・・・・・・・・・)んだろう。一歩そちらに歩み寄って、赤茶けた壁を注視する。
 ――三階分の距離を隔ててこちらを見下ろすその壁面に、何かで抉られたような痕がついているのにすぐ気付いた。傷をつけた物品は取っ払われているけれど、こんな傷がつく状況そうそうあろうはずもない。路上を見下ろす。片隅に散った家壁の断片はまだ真新しく、大部分がここにあった。間違いない。殺し屋がつけた傷だ。真佳はここで殺されかけた。――どくん、と、心臓が呻く。
 ここに来るまでの間に、トゥッリオ・パンツェッタの情報はヤコブスとトマスから聞いていた。齢十三の少年で、れっきとした第一級魔力保有者。属性は鉄。これは彼が捕まってから分かったことだが、眷属は狼であったと言う。何が所以で殺し屋なんぞになったのかは知らないが、方々の町や村を巡って生計を立てる根無し草であったらしい。

「……ここに真佳がいた」

 ぽつりと零した。思ったよりも硬い音。
 煙草の先から漏れ出る紫煙が上下に揺らされるのが確かに見えた。轟、と唸った北風(ほくふう)が、くゆる紫煙を掻っ攫ってさくらの髪をかき乱す。

「……ここから真っ直ぐ、教会方面に逃げたとの話だ。その途中で路地を曲がってトゥッリオ・パンツェッタとぶつかった。行ってみるか?」

 ヤコブスの提案に頷きで返すことに、迷いは無かった。


■ □ ■


 立入禁止テープに指を這わせた。春の陽気を帯びたそよ風が氷の冷気を孕まされ、さくらの頬を冷たく撫でる。季節がここだけ曖昧だ。正面からは冬にも劣らない冷風が吹きつけてくると言うのに、シャツを通して巡ってくる外気は確かに春。
 ゆっくり、
 ゆっくり息を吐きかけて

「……何これ」

 頬を引き攣らせたまま呆れ半分に言い切った。
 氷のオブジェが立っている。細長いのを檻の一部みたいに並べ立てた氷のオブジェ。煉瓦でコーティングされた路面はところどころが黒く焼け焦げアーティスティックな斑模様を描き出し、その周囲には路面を穿つ小さなナイフがびっしりと。
 頭上からの燦光を受けて煌めくナイフ群に頭痛がした。目の前にあるこのキープアウトテープは美術品の前に張られたロープか何かか? 一体どんな前衛的な美的感覚を持った人間の作品だ、これは。

「魔術師同士の戦い跡というのは得てしてこういうものだ。普段は教会がすぐと片付けてしまうんだがな。謝肉祭真っ只中という理由で放って置かれたか」
 ちくちく痛む米噛みを押さえた。「跡でこれってことは、戦闘中はさぞかしひどかったんでしょうね」
「だろうな。何しろマクシミリアヌス・カッラとトゥッリオ・パンツェッタの争いだ」

 ……そこに真佳ともう一人の治安部隊員もいたはずなのだけれど。
 あっさり戦力外枠にうっちゃられた二人の存在を胸中だけで付け加えてため息一つ。アイツは本当に……全く何をやっているんだ。
 目を瞑る。
 路傍に転がった武器の存在はすぐに気付いた。多分見覚えがありすぎたからだ。真佳が好んで使用するクナイによく似せられた氷の武器。ずっと建物の影に入っていたからか溶けた様子は微塵もなく、多分原型のままずっとあそこに転がっていたんだろう。真佳がここに来て、立ち去ってからというものずっと。
 ――身体の横で強く拳を握りしめて、
 解いた。
 ああもう全く――、真佳らしい。

「ヤコブス」

 つま先の先を方向転換。真っ直ぐヤコブスと向き直う形でさくらは告げる。

「教会に人が保護された場合、どこに住まわされることになるか検討つく?」

 ヤコブスが眉根を引き寄せた。

「……教会本部に近付いたことは数えるほどしか無いが、そうだな……」少し考えるように金の双眸を横にずらし、「……教会行政棟の三階……か四階。異世界人が匿われているのだとしたら相当に厚遇されているはずだ。その辺りが妥当だろう」

 ――異世界人、とは一言も言わなかったのに、よくぞ嗅ぎつけたものだとさくらは思う。交通手段を尋ねたときにすぐと自動車と馬車を挙げたこともそう。これだけの観光客がどうやってペシェチエーロに集まったのか、質問が主にそこに絞られていることに彼はすぐに気がついた。
 だから思う。
 彼がわざわざ目抜き通りの左側を選んで歩いていったのは、家壁を穿ったナイフの跡をさくらが見つけやすくするためだ。自分で教える方が効率的なのにも関わらず、敢えてそうはしなかった。

「そう――。ありがとう。じゃ、帰りましょうか」

 ヤコブスが怪訝な顔をした。

「寄らないのか」

 肩を竦める。小さく一つ笑いながら。

「行ったってどうしようも無いでしょう。多分今、アイツは殺し屋に狙われたって理由で周りを固められてるはずだもの」
「ならどうする気だ?」

 尋ねの言にさくらは微笑った。
 簡単なことだったのだ。何も焦る必要は無い。真佳が変わらず“真佳”であるなら、ここで取るべき方策は一つしかない。

「日を改める。その時、アイツは動くわよ」

 口角を持ち上げ不敵に笑って、言い切った。



氷塊クナイ

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