ぱたぱたぱた。
 揺れる足は風を切る。
 小柄な少女には似つかわしくない、くるぶし辺りまでの長い、そして似つかわしいほどに似合っている可愛らしい猫耳と尻尾がついている、そんな真っ黒なローブを着こなしそれと同色で揃えられた洋服をローブの下に。
 それで世界を見渡せるのかというほど目深に被られたフードの向こうではどのような目で何を見ているかわは分からない。元々それを気にする者もいやしない。
 遊歩道の片隅で。
 ひっそりと備え付けられたベンチに腰を預け。
 リズムに合わせているようにけれど何にも合わせていないようにぱたぱたと。
 すぐ傍を歩く人間は、誰もそれに目をやらない。
 けれど彼女はそれを気にした素振りも見せず、ただぱたりぱたりと足を動かすだけである。


「どうしたの?」


 ――かけられた言葉に顔を跳ね上げる。
 フードの下にある双眸はやはり衆目に晒されることは無いものの、確と声をかけてきた女性の顔を捉えている辺り、少女にはちゃんと視えているのかもしれない。それは彼女にしか分からないことだけれど。


「迷子?」


 腰を曲げて少女と視線を合わせるように屈む、淡い桃色のスーツを着こなす女性は優しい声音でそう尋ねる。少女を安心させるためだろうか、柔らかく細められた目と緩く上がった口角が、少女だけに向けられる。


「お母さんとはぐれちゃったのかな?」


 困った様子もなく小さく小首を傾げる女性に少女は屈託無く首を振り振り「違うよ」言い切って。
 その言葉に女性は一瞬キョトンと笑みを消した。


「…それじゃあ、お父さんとはぐれちゃったのかな?」
「違うよ」


 同じ言葉で否定して、フードで隠れた顔で唯一見える口元をニィと歪ませてぴょんと踊るように跳ねるようにベンチから飛び降りて。


「おかーさんともおとーさんとも、おにーちゃんともおねーちゃんともはぐれてないよ。わたし最初からひとりだもの」


 少女の唇が振るわせた空気に女性の眉が跳ね上がった。不審そうなその瞳。慣れていないわけではないので少女は特筆すべき反応を取ったりしない。胸だってチクリとも痛まない。それはそういうものだから。


「……お巡りさんのとこ、行きましょうか。保護者さんがきっと貴方を探してるわよ」


 迷子じゃないのにと紡ごうとしたのを唐突に止める。
 女性が此方に手を差し伸べていた。真っ白で綺麗な手。淡い桃色が似つかわしい、可愛らしい華奢な手。


「触らないほうが良いよ」


 無垢な声音を投げかけられて、女性の手がピタリと中空で止まる。
 少女はニィと、やはり口端を持ち上げて。


「触らないほうが良いよ」


 同じ言葉を繰り返した。
 女性の怪訝そうな眼差しが無遠慮に少女に突き刺さったが、やはり少女の方はそれを気にした風も無い。それはそういうものだから。


「…でも、また(・・)はぐれたら困るでしょう? お母さんやお父さんも心配しているかもしれないし、」


 だからはぐれてなどいないというのに。聞き入れてくれないとは何と面倒な大人だろう。
 少女の小さな手に再び女性の手が伸ばされる。今度は止めはしなかった。止めても無駄だろうと悟っていた。
 きゅっと、強く優しく手を握られる。
 久しぶりの感覚だった。懐かしいような悲しいような。
 でもすぐおわる。
 バチバチと、電気の爆ぜる音が自分の内側から聞こえたようで少女は「あ〜あ」と吐息を漏らす。
 諦めているような、それでいて楽しんでいるような、そんな妙な声色だった。


「なぁに?」


 女性が問いかけた、その刹那に。
 少女を纏っていた無害な風が、牙を剥いた。
 アスファルトの地面を穿ち女性の体躯に幾重もの傷を負わせ真っ赤な血飛沫をグレーの無機質な大地に刻み女性の胸元にごっそりと呑み込むような風穴を空けて。
 傷から、女性のスーツよりも鮮明な桃色の肉塊が、女性の血を浴びて赤みのかったその状態で、ぼとりぼとりと地面に落ちた。
 削がれた頬がチークとは違った桃色を衆目に晒し、半ばほどまで切り取られた喉がヒューとか細い空気の音色を辺りに響かせて。
 周りにいた数人の通行人から悲鳴が上がったのは、女性が地面に伏した直後。


「――だから触らないほうが良いって言ったのにぃ」


 手のひらにかかった人の体温とはまた違う温もりを帯びる鮮血をぺろりと舌で舐め取って。どこか楽しげに、傍から見れば狂気の孕んだ笑みを湛えて言を発した。
 慣れていないわけではないので少女は特筆すべき反応を取ったりしない。胸だってチクリとも痛まない。
 ――これはそういうものだから。
 今尚続くヒステリックな女の絶叫に大した興味を向けるでもなく、少女はくるりと体を反転させた。
 一歩アスファルトの地面を踏みしめるか否かの間際。
 一陣の風がその場に吹き荒れたかと思ったら、まるで最初から何もいなかったかのように、少女はその場から姿を消した。
 後に窮奇だの何だのとそんな曖昧な尾びれをつけて、この事件はひっそりと人々の脳裏に小さな波紋を残しやはりひっそりと消えていく――。
 まるで最初から、何事も無かったかのように。


◆あとがき◆

どうやら私は風の申し子ちゃんを気に入ったようです。あれ、前回のSSでもこれと似たようなこと言いましたよね、私。何かしらこのデジャヴは。とりあえず「雨月(うげつ)」という名を与えておきました。一時期三月にしようと思ってましたが、雨月のが合ってる気がしたので雨月で。
…そもそも私、弱いんですよね。フード。フード被ってると男女問わずぐはっと来ちゃうんです。あ、老若は問います。(…)
しかしSSとなると私はダーク系を書く傾向にあるらしいと今更。光溢れる物語は既存のキャラクタで紡ぎたいんですよ、とか言い訳してみます。はい。
日常は決して日常とは言い切れず裏の世界は薄皮捲ればすぐに目の前にやってくるんだろうなというお話。
≫Lemon Lotus(index)


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