「また君ですか」


 呆れたような、というよりかは諦めた感の強い呟きで言うと、その子はにこりと無邪気に笑って首を傾げて「だって最勝寺さん、暇してるって聞いたから」語尾が揚々と跳ね上がりそうなこの回答。誰だ情報をリークしたのは。心当たりのある顔がありすぎてもうどうすればいいのやら。


「あのですね、僕がかっこいいっていうのは理解してるんで付きまといたくなる気持ちも分かるんですが、そう簡単に異世界圏開くわけには――」
「いえ、最勝寺さんがかっこいいとは思ってないです」
「……え。でも好きなんですよね?」
「はい、好きです」
「好きってことはかっこいいってことじゃないんですか」
「いいえ!」


 にっこり笑顔で即答。少し長めの黒髪を女性らしい顎のラインと共にもこもこしたマフラーでぐるりと覆ったその状態で向けられる笑顔は、マフラーの素材のせいかふわふわしているように見えるのに微妙に納得がいかないのは何故だろう。


「はー。とりあえず帰ってください。異世界圏は原則として異世界に向かいたいと希う生物のために開けるものです」
「そんな小難しいこと言って。私事で開けまくってるのは知ってるんですからね!」


 寒風に晒されて真っ赤になった鼻の頭を持ち上げて自信満々に告げられた。一時停止。無論図星どころの騒ぎではない。ないのだが、にしたって一般人である彼女が知っている道理はないはずで。
 どこに視線を固定したらいいのか分からず結局の羽織った紺のコートのボタン辺りを五秒くらい視界の中心に添えてから、


「……誰に聞いたんですか、そんなこと」
「最勝寺さんの同業者」


 あー、今は違いますけどね、と内心呟きはしたが声には出さなかった。異世界案内人などとは無関係で生まれてきたに無闇矢鱈に話すほど白夜は自分語りが好きではない。


「僕はいいんですよ。大人ですから」
「またそうやって逃げる……。私だってもう何年かすれば成人だよ」
「じゃあそれまでは子どもですね」


 言って軽く押さえつけるみたいに頭に手をやると、は子どもらしくぷぅと頬を膨らますのだ。何となく、いつも向けられるニコニコした微笑よりも白夜はこちらの表情の方が好きだった。向けられた笑顔にはどこか奇妙なズレがある気がして。


「はい、子どもはもう帰りなさい。風邪引きますよ」


 くるりと体を反転させてやって肩を押すと、「最勝寺さんこそ」とは言った。冬の乾いた風がの体温を容赦なく奪った結果として、鼻に加えて頬とむき出しの指先がじんわりと赤く染まっていた。


「コートも何も着てないじゃないですか。寒くないんですか?」
「僕はいいんですよ、風邪なんて引きませんから」
「引きますよぅ!」


 の言う通り、確かに黒のワイシャツに同色のスラックスを通して寒風が肌を撫でてはいくが我慢出来ないほどではない。そうと告げても振り向いた顔がきゅっと厳しくなったのを止められなかっただろうと思う。眉尻を跳ね上げてぷくっと頬を膨らませた様は園児が拗ねた様に似ているかもしれない。
 首周りにふわふわした感触が出来たことに一瞬目を丸くした。


「マフラー、今度会ったとき返してくださいねっ!」


 それを捨て台詞みたいに言い置いて、さっきまで頑なに帰ろうとしなかったくせにその子は軽やかに此方に背を向けたまま駆け出した。さっくりと次の約束取り付けていきやがった。全く女子というものは、他よりは長く生きているであろう自分から見ても謎な生き物である。
 何となくそれから何かする気が起きず、の後姿が塀に囲まれた道路の向こうに見えなくなってもそのままそこに突っ立っていたが結局馬鹿らしくなったので異世界圏を開いて世界そのものから離脱した。





 白夜が初めてに出会ったのは、今から半年近く前のことである。その当時はまだ自分は“異世界案内人”として働いていた時期で、つまり異界への旅路を望む人間をお望みどおり別の世界へ送り迎えする日々を機械のように淡々とこなしていた。が異世界を望んでそれに白夜が呼び出されたのは全くの偶然だったが、偶然は一度しか起きなかったと白夜は認識している。
 一度目、当然異世界へ行くのだろうと思い込んでいたが彼女が望んだのは異世界への片道切符ではなく白夜の名前の方で、結局それと“異世界案内人”についての軽い質疑応答を繰り返した後帰って行ってしまったのを憶えている。異世界はどうなったんだと内心で突っ込んだのは言うまでもない。
 それから先ほどの邂逅で何度目になるのか。何日に一回かは“異世界案内人”を呼び出せる彼女はもはや奇跡の子と言っていい。なんたって“異世界案内人”との邂逅は人生で一度会えることすら稀であり、ほとんどの人間はそんな存在すら知覚しないままに短い一生を終えるものだからだ。それについては“元”同業者も一目置いているそうな。何でも“異世界案内人”になる資格があるのではないかと。白夜はそれには反対だが。


「って言っても、もう“異世界案内人”の一員でもないあんたの意見は多分聞き入れてもらえないと思うわよ?」
「聞き入れようが聞き入れまいが関係無いですよ。“異世界案内人”の仕事は危険なこともあるんですから、あんな普通の子が勤められるわけがない」
「素直じゃないの。心配なら心配って言えばいいじゃない」
「誰が誰を心配してるって言うんですか」


 目を眇めて横目で睨むとそいつは軽く肩を竦めただけで何も口にはしなかった。専用の接着剤で自身の爪に慎重に慎重を重ねてネイルチップを貼り付けているところを見ると此方との会話は頭半分と言ったところか。
 睨むのも馬鹿馬鹿らしくなってパイプ椅子に改めて腰を落ち着ける。“異世界案内人”が住まう建物は半年前まで自分が生息していた場所だけあって気は落ち着く。事務的な真四角の部屋に事務机、パイプ椅子が何脚か。壁際にはロッカーがあり扉と対面にある窓にはねずみ色のブラインドがかかっている。覗いたところで外の景色などまともには見えやしないけれど。


「あのね、言っておきますけど恋愛感情は無いですよ」
「妹ちゃんでしょ? 今は」


 嫌な言い方をするなあ、この女は。
 ルージュの引かれた唇を妖艶に突き出してネイルチップの出来を確認する彼女の肩から橙色の長い髪がさらりと落ちた。こいつは仕事中は常にと言っていいほどレディス・スーツを纏っているのでこういう事務室然とした部屋にはよく似合う。


「っていうか、妹でも何でもいいの。問題はあんたが微妙に距離を置いてるってことなの。嫌いでもないのに距離を詰めない理由はなぁに?」


 尖らせた口にきっとつり上がった眉が追加。髪と同じ色の双眸はネイルチップに向いてはいるが今は彼女の頭のほとんどは此方の会話に向いていることであろう。
 視線を横へずらして、少し考えてから答えた。


「“異世界案内人”には関わらない方がいいんですよ。一般人が入っていい領域じゃない」
「臆病者だし自意識過剰。そういうところは変わってないのね」


 ようやっとネイルチップから外れた彼女の視線は真っ直ぐ此方を射抜いていた。ただし睥睨しているのではなくて、どことなく呆れたような。ルージュで潤んだ唇から大仰なため息が漏れる。


「勝手に定義付けられた幸福を盾に自分が傷つかないようにしてるみたい。ムカつくわ」


 綺麗な唇から口汚い言葉を吐き捨ててからそれ以上何も話してくれようとしないのは、どうやら拗ねたというか怒ったらしかった。
 膝に乗せた桃色のマフラーに手を触れる。ふわふわした感触が骨ばった自分の手に伝わった。








 声をかけると学校帰りと思われるその少女は驚いたような顔をしてこっちを振り返った。その首にマフラーは巻かれておらず寒々しい風に細い首がむき出しになっている。鼻の頭が少し赤い。


「最勝寺さん……?」


 名を呼んだというよりは、これが幻想ではないことを自分の脳に確認させるために口にした感じだった。「……最勝寺さんで合ってます?」こっちが何の反応も示さないことに胡乱そうに目を細めて再確認。


「いや、僕ですよ。何ですか君そんなに僕が此処にいるのが意外ですか」
「意外っていうか……信じられないというか……」
「じりじり距離取るの止めましょうよ。怪しくないですよ、本物ですよ」


 後退するに向かって犬か猫にでもするみたいにチッチッと舌を鳴らして呼んでみたり。「えーっと、どうしたんですか?」
 舌を鳴らして呼んだことに突っ込みは入れられなかったが、距離を取られることも無くなっていた。


「いえ、マフラー返そうかと」
「そうですか。っていうかまたコートも何も着てないし! 防寒具嫌いなんですか?」
「嫌いではなく不必要なだけです。ちょっと寒風に晒されるだけなんですから必要無いじゃないですか面倒くさいし」
「自分の体調より楽な方を取らないでください」


 突っ込みながらも差し出したマフラーに渋々手を伸ばす辺り、この件に関しては半ば諦めたようだった。口うるさいのは好きではないのでそうしてくれるととても助かる。
 いつも見せているみたいな無駄にニコニコしていながらピンと何かが張り詰められた笑顔を今日は見ないなということにこのとき気付いた。
 今の彼女はどちらかというと、白夜の唐突の登場に戸惑っているふうに見えた。


「君って若しかして自分が僕にとって迷惑な存在だと思ってたりします?」
「え!? えええ、そうじゃないんですか?」
「敢えて否定はしませんけど」
「何でですか!?」
「迷惑と理解していながら陰湿でなく真正面から猪突猛進する子、嫌いじゃないんですよね」


 飄々と。
 言ってから、ぽかんと大きく口を開ける彼女にもう一言付け足してから、異世界圏を抜けた。


「また会いに来ます、










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For.にこさん

“白夜との夢小説”です。リクエストありがとうございました!
「名前変換小説≒恋愛もの」と解釈しましたが、世界観歪ませないと無理っぽかったので恋愛匂わせたほのぼの友情系になりました。友情とも恋愛とも明言してないのでお好きな解釈でどうぞ……!


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